キラキラと色鮮やかな宝石が焼き菓子の上に所狭しと乗っている。一つは桃、一つはぶどう、一つは梨。ブルーベリーやイチゴなど数種類乗せたもの。そういったケーキが何種類もショーケースの中でじっと息を潜めている。
洋菓子店の店前でじっと佇んでいたその女は、それを見て瞬いた。浮雲のように流れていく普段の女からは想像しがたいような執着である。じっと羨望を含んだ色を乗せた視線は子どもそのものであり、その普段済ました顔はキラキラと明るく輝いて見える。
その様子を見て、そういえば、甘いものが好きだったかと連れ立っていた男は思い出す。少し離れた先の彼女を眺めていれば、根を生やしたかのようにショーケースの前に釘付けになっている。その向かい側に待機している店員の女は心なしかそんな女を微笑ましそうに見守っている。
「どれが食べたいんだ?」
はっとした女が男の方へ視線を向けた。その顔はショーケースのフルーツタルトに見惚れてて男の存在を今しがたまで忘れていたという決まりの悪そうな顔であった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です」
慌てて男に追い付こうとした女を制止し、男自ら女に歩み寄っていく。
女の隣に立った男がショーケースに合わせて屈んでみると、なるほど、隣人が好みそうなケーキばかりである。
比古サンと弱弱しく呼ぶ女を一瞥し、比古もケーキを品定めしていく。
「どれがいいんだ」
「い、いいんですって……もう帰るんですから」
居た堪れないと言わんばかりの女は男の洋服の袖を引いて立ち上がるように促す。
その一部始終を見ていた店員は女の思惑とは裏腹に、比古を援護するように助け舟を出す。
「ご試食も可能ですよ、いかがですか」
「え、いや、あの」
「おい嬢ちゃん。一切れずつくれ」
「ありがとうございます。準備いたしますので少々お待ちください」
にこにこと満面の笑みを浮かべる店員が、手際よくショーケースから一切れずつケーキを紙箱に移していく。
比古が徐に財布を取り出せば、横から勢いよく女の手が伸びてきて比古の手首を掴む。
ダメだ、と首を振る切迫した表情の女。これは比古がしてやりたくてしている厚意であるから比古にとってはそこまで遠慮しなくてもよいのだが、それでもなお奢ってもらう道理が無いなどと野暮なことを考えて居るのだろう。そういう所は真面目だ。男の下心に感づいていないはずがなかろうに。
財布を出そうと鞄を漁る女はどこまでも他人行儀な女であるが、そういう女だからこそ、比古は少し甘やかしてやりたいと思ったのである。
「お、お金払います……比古さん、あまり甘味はお食べにならないでしょう」
「いらねえ。その代わり半分に分けろ、俺も食べる」
「え」
「お前の好きなもんを俺はもっと知りたい」
「おまたせしました、こちらお品物になります」
「ほら」
「え、はい」
戸惑いを隠せない女に、店員からケーキの詰め合わせが入った紙箱が渡される。中には保冷剤とフォークが二つ入っているとにこやかに店員に、おずおずと礼を述べる女を満足気に比古が眺めていれば、店員の女からアイコンタクトが飛んでくる。
またお越しください。
そう言った店員をしり目に、きっとこの女はこの店には二度と来ないのだろうと渡された真新しいスタンプカードを財布にしまい込む。少しばかり忌々しそうに比古を見つめる女の手を取って、歩き出すと、女は何とも言えない顔でとぼとぼと歩き始めた。
「誰かにケーキ買ってもらうのは初めてです」
ぽつり。そう呟いた女の顔を思わず見る。まっすぐ前を向いたまま、紙袋を大事そうに抱え込んでいる。
「親は」
「兄が体が弱くて入院していて、そちらで手一杯で私はよく放し飼いされていました」
「放し飼いって、お前な……」
「いつも放っておかれたので不仲ですし、口も聞いていません」
だから、ちょっとケーキ分けて食べるってワクワクしますね。
少しこそばゆそうに口を緩めている女。過ごして来た家庭環境に難があるのはなんとなしに察しは付いていたが、そういう普通のことを満足に過ごせずにここまで流れ着いてしまったことには、少し同情的になってしまう。だが、当の本人は微塵も自分を哀れだとも思っていないのだろう。珍しく浮かれた様子の女が自然と自分の手を掴む力を強めるのを感じて、なかなかどうして悪くないと思ってしまった。
「比古さん、ありがとうございます」
早く帰って食べましょうと楽しそうに鼻歌を歌い始める女に釣られて、そこまで興味のなかったケーキの箱に視線を移す。普段すました顔の女がこうも明るい表情で笑うのだから、また今度も買ってやろうと喜ぶ顔を浮かべ、自然と口元を緩ませた。
19.09.01 初出 『ミミック!』