たどたどしく呼吸をするその姿に、自然と口角が吊り上がっていた。
行灯の微光に照らされたその輪郭には珍しく動揺が走る。醒めた表情は珍しく崩れ、息も絶え絶え。瞳孔はゆらゆらと揺らめいている。薄らと滲む汗をそっと舐めとってやれば、面白いほどびくりと体をしならせて、砂糖菓子の声が夜闇に溶け込んでいく。
視線をその顔に移せば、両手で口元を覆ったその女が大きく目を丸めている。それは信じられないと言った驚きと羞恥心に濡れた顔で、先程の生々しい囀りに対して相当動揺しているようであった。
「そんなんじゃ、最後まで保たないぞ」
「私……おんなに、なってしまう……」
「阿呆。そもそもお前は女だろう」
視線を彷徨わせるその女に、その男・比古清十郎は溜め息を吐いた。
普段の凜々しさはなりを潜め、らしくもなく覚束ない女。幼少期の心的外傷を引き摺っている女であるからこういった色事に抵抗感を抱いているのは元より承知していたことであるが、ここまで来て待てを喰らうのは避けたかった。勿論、体が目当てという訳ではないが、目の前の女をひとりの女として目一杯愛してやろうと決めていた。自分自身が女に生まれてきたと言うことを後悔して生きてきた女に、女であることに否定的になるのではなく、受け入れられるようにしてやりたいと思った。正直、女にとってはこの愛情表現は最善ではないのかもしれぬ。それでも、その想いを汲み取った女自身が選択をして受け入れようという気概を見せたのだ。比古としてはこの女を諦めるわけにはいかない。
「だって、私……」
「」
揺れる視線を手繰り寄せる。こつり、と額を合わせ、塞いでいた両手を優しく下ろしてやると、柔い頬肉を両手で包み込んだ。
――。
説き伏せるように声をかければ、その女・は滔々と水分を湛えた瞳を徐に比古に向けた。
――旦那ァ。
暗澹とした瞳が比古を映した時、その深淵が見えたような心地がしてぞくりと腹の底が痺れていく。煮え滾る高揚感。自分だけに曝された弱味は存外に心地が良いものだ。弱味を見せるだけの信頼されているのだ。助けてと吼えられぬこの女が、唯一救いを求める自分なのだから。
心細げな表情を浮かべるその女はまるで親の面影を捜す幼子のようだ。かと言って、親として見られても心外であり、男としては傍迷惑な話ではある。そっと唇を啄んで、の強張った表情を和らげるように両手で弧を描くと、ぐにゃ、ぐにゃり、と頬肉が歪み、少しだけ不細工な表情が現れる。
比古が思わずフッと鼻で笑うと、ギロリと反抗的な瞳が無遠慮に睨み付け、額をぐいぐいと押してくる。これでこそ、という女だ。
「女であることを恐がるな。お前はお前だ。性別は関係ない」
「……比古さん」
「俺はお前だから抱くんだ」
「私が男でも?」
「…………男を抱く趣味はねぇが、お前なら」
「いや、無理しなくて良いです」
「……」
「……はは。たまにおばかさんですよね、旦那ってば」
が小さく笑って、比古の両手そっと掴むと自分の胸の上に乗せる。目を細めて比古を見つめるその表情は、それは、一等穏やかに笑みを浮かべていて、思わず息を飲み込んでしまう。まるで凪いだ空のように慈しみを湛えている。
「――お前の家に柿の木はあるか」
「柿?」
「俺がとっていいか、というよりも取るからな」
「え、ちょっと、旦那……」
「俺だけ見てろ、俺だけ信じてればいい」
ゆっくりとの体にのし掛かっていく比古。
さらさらと濡れた黒髪がの頬に掛かり、隙間を埋めていく。
ゆっくりと武骨な手が弧を描き始める。なだらかな肌色の曲線をなぞりながら、ゆっくりと、ゆっくりと体を愛情で濡らしていく。
19.10.24 初出
19.11.11 加筆修正 『愛、屋烏に及ぶ』