Stay who you are.

 夏は蒸し暑く、冬は寒い。今年は数年に一度の寒波が襲来。京の街は雪化粧がお気に入りのようで金閣の屋根が美しいスノーホワイトに染まる日が幾日か。子どもの頃は雪が降る度にはしゃいだものだが、大人になると色々な障害に縛られてあんなに好きだった雪の日もどこか億劫になる。
 今日は寒凪。暦の上ではもう春であるのにまだまだ春が遠いこの時期。凍てつくような寒さに身を震わせながら歩きながらも何処か浮き足立っているのは二月の甘い季節だからだろうか。
「今年のバレンタインはどうしようかしら。志々雄様にはマストだけど、にも何かあげたいわね。あの子涼しい顔して甘いものに目がないんだから」
 今日会うはずだった友人の顔を思い浮かべ、自然と笑みが溢れてくる。何を上げても喜ぶだろうから何も心配はないけれど、一方で何にするか選択肢が多過ぎるから迷ってしまいそうだ。
「うーん。やっぱり甘いものかしら? 疲れてるからアロマグッズ? お花もいいわ、ね……あら?」
「あ? お前は確か、の」
 通りの店から出てきたのは鎌足の友人のの意中の相手・比古清十郎である。


 * * *


 カランカラン。ドアの上部に取り付けられた呼び鈴が鳴る。人の良さそうなマスターがちらりと鎌足達の姿を見てにっこりと笑うと、お好きな席にどうぞと告げる。
「ブレンド。奢ってやるから好きなもの頼んでいいぞ」
「え、あっ……じゃあ、チーズケーキとブレンド」
「マスター」
「はい、かしこまりました。少々お待ち下さいね」
 コーヒーミルを挽きながらにこにこと微笑むマスターを横目に、通り沿いの窓際の席に腰を掛ける。
 店内はどの街の何処かにあるような喫茶店。少し薄暗い店内に灯る橙の蛍光灯、アンティークの家具、調度品。店内にはマスターの淹れるコーヒーの香ばしい香りと穏やかなジャズミュージック。客達は思い思いの穏やかな時間を過ごしている。古めかしさはあるが純喫茶と言った感じで落ち着き洒落ている。センスがいい。比古の行きつけの喫茶店なのだろうか。コートを脱いで向かいに腰掛ける比古をチラリと見る。
「確か――本条鎌足、だったか」
「ええ、おっさん。私のがお世話になってるようね」
「おっ……」
 比古は面食らった表情を浮かべたが、すぐに眉間に眉を寄せる。顎を摩りながら、「おっさん」と鎌足に言われた言葉を反芻している。鎌足が嫌味で行ったのだが、少しばかり気にしているらしい。鎌足としては大事な親友を取られてしまった八つ当たりのようなものであるが。
「お待たせしました。ブレンド二つとチーズケーキです」
「ありがとうございます」
「ごゆっくり」
 にこにこと微笑を浮かべるマスターに礼をいい、互いに一杯。
 芳醇なコーヒーの香り、苦味だがコーヒーの味わいを引き立てる為の味わい深い苦味。温かいコーヒーが冬の寒空の下歩いて冷え切った身体を温めて安らぎを与えてくれる。フォークで切り分けたチーズケーキを一口添えれば、チーズケーキの優しい味わいとコーヒーがうまくマッチする。
「今日、がお前と会うの楽しみにしてだはずだが?」
 ソーサーの上にカップを置いた比古が、鎌足を見る。少しだけ空気が刺々しいのは先ほど鎌足の発言のせいだろうか。
「あの子は仕事の呼び出しよ。バレンタインのチョコ見に行こうって約束してたのよ」
「バレンタイン?」
があなたに渡したいって言ってたわよ」
 バレンタインと聞いてキョトンとした顔をしていた比古だが、己のためだと理解すると目がスッと細まった。へえと言いながらカップに手をつける比古は吝かでもない様子だ。が自分の為に贈り物の準備をしたいと思った事実が嬉しいのだろう。
「(何よ、満更でもないんじゃないよ)」
 きっかけは緋村剣心と言う彼の弟子を通じて知り合ったという。学生時代、剣道部員だったと緋村は、緋村の剣の師匠である比古清十郎を訪ねては剣の腕前を磨いたと言う。それからずっと師匠と弟子として過ごしてきて、緋村が就職を機に上京してからも二人は時折一緒に休日を過ごしていると言う。映画館へ行ったり、美術館や博物館に行ったり、互いの家を行き来して休日を過ごしたり。ただの師匠と弟子というには少し歪だ。手を出されてもないというから尚の事。
 鎌足はの親友だ。男のくせに女みたいな態度が気に入らないと一部の人間から白眼視されていたが、は素直にすごいと褒めてくれた。ファッションもメイクもわからない彼女にメイクをしてやれば、魔法見たいとキラキラした表情で嬉しそうに笑ってくれた。鎌足にとっては自分を受け入れてくれる大切な存在だ。同性が好きとカミングアウトした時もそっかとさらりと受け止めてくれた。そんな彼女だから比古と一緒で幸せになれるならなって欲しいと願っている。好きな友人を年の離れたおっさんに取られるのは少し悔しいけれども、彼女が幸せになれるなら後押ししてやりたい。
「比古さんはさ、の事どう思っているの」
「あ?」
「もしその気がないんだったらから離れて欲しい」
「……なんだよそれ」
 穏やかだった顔が険しい顔に戻る。比古の顔は眉目秀麗という言葉がぴったりと当てはまるほど整っているから、そういう美人が怒ると威圧感を感じる。一瞬たじろぎそうになったが、ここで引くわけには行かないと唇を噛む。
「……っお節介だとは思った。けど、は私の大切な親友よ。だから大切にしてくれる人と幸せになって欲しいの。だからアンタの気持ちがに向いているか知りたい」
 持っていたフォークを皿の上に置き、居住まいを正す。目はその力強い視線に。

「比古清十郎。あなたは、のことどう思っているの?」
 
 * * *

 「何かあったら」と渡されていた合鍵で施錠を開く。玄関を入るとその家の匂いがする。ふんわりと香るサボンの匂い。後ろ手に鍵を閉め靴を揃えて脱ぐ。
?」
 リビングまで入っていけば、ソファの上にスーツを脱ぎ散らかしたまま寝こけている女の姿が目に入る。キャミソールに、レースのパンツ。猫のように丸まって眠っている。
「……黒」
 すうすうと穏やかな寝息を立てながら無防備に眠っている姿に頭を抱えたくなったが、隣の寝室から掛け布団を引っ張ってきて掛けてやる。脱ぎ捨てたワイシャツやスーツを拾い集めて、洗濯籠やハンガーに吊るしたりしてやる。どうやら帰ってきてそのまま力尽きたらしい。
 比古はの目の前にしゃがみ込んで覗き込む。目元にはうっすらとクマが出来ている。あまり眠れていなかったのだろうか。指先で目元を撫でて、頬に掛かった髪をどかしてやる。薄紅色に色付いた唇から小さく漏れ出る寝息。穏やかな表情を浮かべて眠っている。一体どんな夢を見ているのやら。
「ん……ひこ、さん……それは、エタノールだ……お酒じゃないよぉ……」
「何っていう夢を見てんだ、こいつ」
 へへへと呑気に寝言をいう彼女に、溜息が零れる。ぐにぐにと頬を引っ張ってやると、ううっと苦しそうに唸るので、すぐに手を放してやる。ぺしっと額を叩いて立ち上がる。
「仕方ねぇな、寝かせとくか」
 窓際に置かれたままの陶器の花瓶を手に持つと台所へと持っていく。花瓶を軽く濯ぎ、水を入れると買ってきた薔薇の花束を移し替える。丁寧に活けて満足すると、冷蔵庫を開いて買ってきた包み紙を入れようとする。
「お。今年はガトーショコラか」
 タッパーに冷やされたガトーショコラを見つけてそれと引き換えに包み紙を冷蔵庫に入れ替える。湯を沸かしてコーヒーを準備しつつ、再び花瓶を窓際に置く。淹れたてのコーヒーとタッパーを片手にソファーを背に床に座り、タッパーからガトーショコラを取り出した。一口食べてみると甘さを控えめにしたようで、思いの外甘すぎず丁度良い。比古が酒を嗜むと把握しているからだろう。ラム酒が程よく風味が効いている。あまり甘いものは食べないのだが、毎年この時期になるとがせっせと食べやすく作ってくれるので、その分だけは残さず食べることに決めている。
「ウィスキーかブランデー辺りが欲しいところだが、仕方ねぇな」
 淹れたてのコーヒーのお供にガトーショコラを食べ進める。昼下がりの穏やかな光、背中から伝わる微睡みの気配、柔らかいの匂い、コーヒーとガトーショコラの香ばしくも甘い匂い。息をゆっくりと吐き出して空になったカップとタッパーをテーブルの上に置く。
「いつもありがとうな」
 囁くように呟いての寝顔を覗き込むと、触れるだけの口付けを落とす。よしよしと頭を撫でるとピンポンとインターホンが鳴る。宅急便だ。いまだに起き上がる気配のないを一瞥しつつ、玄関まで受け取って再びリビングまで戻ってくると、ようやっと目が覚めたらしいが身体を起こしていた。と呼べば、うんと気の抜けた返事が返ってくる。ぼんやりと何を見ているのかと視線をたどると、先程飾った窓際の薔薇をじいっと眺めていた。その耳は少しばかり薔薇のように赤く色づいているようで、おやァと思うよりも早く口角が吊り上がる。
「おはよう。口元にチョコレイトついてるぞ」
にやりと笑いながらの唇をなぞれば、真っ赤な顔をしたにうるさいと睨みつけられた。

22.02.14 『Stay who you are.』 初出