Show Mast Go On




 舞台に立つのは初めてではないが、ミュージカルとなるとまた普通の劇とは違う。
 今日、人気漫画やアニメ、ゲームなどの題材の舞台が人気である。多数の作品が役者たちによって舞台化されている。原作となる漫画やアニメを忠実に再現し、キャラクターに成り切って演じる。大まかにいえばそのようなものであるが、これに歌がついてくるのがミュージカルだ。ただの歌ではない。この歌を通して、観客たちは劇の状況やその役の心情を汲み取る。そのためにこの歌唱が重要になってくる。自身は歌うのは好きだが、上手か上手でないかとそういわれると自分では何とも言えない。それでもやる以外の選択肢はない。今回がにとっては初めての挑戦である。初めての挑戦に自然と練習への熱が入っていく。稽古する度に知ることや稽古して見えてくることもあって、楽しみであると同時に少し緊張もしている。

 が演じるのは男として生きた女警官。自分の腕っ節一つで幕末を生き抜き、新しい時代に翻弄されながらも生きていく役だ。主要キャラの部下であり、何かとこき使われて裏で工作するキャクターなので、出番が多いわけではないが、ちょこちょこと出番がある。自身はこのキャラクターをわりと気に入っている。主人公の師匠と少しいい感じにはなるのだが、今回の演出上はほぼカットである。
「何か気になることがあるのか?」
 台本をじっと見つめて思案していると、主人公の師匠役・比古清十郎が怪訝そうに言う。よりも先輩の役者であり、比較的に若い役者が多い今回のミュージカルの中では年長者である。の役との絡みもあるためか、何かと気にかけてコミュニケーションを取ろうとしてくれているようだ。そのため、稽古が始まってからはしばしば声を掛けられることが増えた。二人の出番が被る同じシーンやそれぞれのキャラクター像についての互いの考えを示し、話し合う。そこからそれぞれの役どころを咀嚼し、演技の方向性を探る。そういったコミュニケーションを大事にとってくれている事は有難いことだ。それに付随して出番が重ならないシーンに関しても助言をくれたり、稽古以外に食事に行ったりと、可能な限りのコミュニケーションを取ってくれる。演じ合う上で理解しようとしてくれているのだ。
 比古はの隣まで歩いてくると、手元の台本を覗き込んだ。高身長のせいか少し見づらそうにしている様子を見て、更に見やすい位置に台本を持ち上げる。とんと身体が触れ合った瞬間に、一瞥が向けられたが、再び台本に視線が落ちて行った。
「――どこだ?」
「ええと、この殺陣のシーンなんですけど……」
「どれ、やってみせろ」
 台本を隅に置き、立て掛けてある稽古用の刀を投げ渡すと、比古はそれを手に取って腰に下げた。休憩をしていた演者達の視線が自然と達に集まり始める。比古清十郎の殺陣は美しくも力強く、憧れを抱く者が多い。誰もがその殺陣に近づきたいと思っているから当然だ。本人に至っては役者が本業ではなく陶芸家や剣道家という異色。そうお目にかかる機会もないから皆がそのと殺陣を一目見たいと思う気持ちはわからぬでもない。自身も比古の殺陣の美しさに惹かれるものがあるから、こうして直々に稽古をつけてもらうのは貴重な機会だ。
 高揚し始める気持ちを感じながら腰に刀を差し、比古を正面に対峙する。お前のタイミングで始めろという比古の言葉に頷く。
「――行きますよ」
「こい」
 床を強く蹴り、一気に間合いを掻き消していく。素早く柄に手を掛けて勢いよく抜刀する。右薙に一刀。抜刀した比古の初速がすぐに追いついて、稽古用の刀が高らかに交わる音が稽古場一面に響く。
 ――速い。
 手は抜いていない。この男相手に抜けるわけがない。この一手は全力で打ち込んだ。しかし、後から抜刀した比古に難なく受け止められてしまった。……悔しい。ギリギリと歯噛みする。この斬撃が通らないことは分かっていたが、こうも易々と止められてしまうと悔しい。ニヤリと不敵の笑みを浮かべる比古も気に食わない。ギロリと睨みつけながら素早く切り返して、次の一刀。一歩踏み込んでいく。指先が地を蹴りつけ、更に一歩踏み込む。追撃の手は緩めない。実力差は否めない。長期戦は尚更分が悪い。ならば斬り込んでいく他ない。始めから分が悪いのはわかっている。覚悟の上だ。連撃を繰り返すに、比古はあくまでも冷静に見定めて受け流していく。誰から見ても実力差は明らかだろう。とて人並みよりも優れた剣の使い手であるが、比古はまた一味も違う。まさに剣の達人だ。の剣戟を少しずつ切り返していくとあっという間にを追い詰めてしまった。
「っ!」
「勝負あり、だな」
 キンと刃同士が交わり、競り負けたの手から刀がくるくると弧を描きながら弾き飛ばされていく。弾かれてビリビリと痺れた手。間合いを取ろうと後退する前に比古はの首元に切っ先を突き付ける。
 ――チェックメイトだ。
 と比古の殺陣の迫力に圧倒された他の役者たちは誰もがそう思った。だが。のその顔は未だ諦念は浮かばない。鞘に素早く手に掛けて切っ先を弾いて退けると背後に飛び、飛ばした刀を拾って素早く打ち込む。
「ふぅん? 中々やるじゃねぇか」
「はぁ……は、ぁ……はぁ……それは、どうも」
 切っ先が互いの喉笛を捉えている。汗だくになったと依然として余裕綽々としたいで立ちの比古。ゆっくりと切っ先を下ろしたは納刀し、両膝に手をついて呼吸を繰り返しながら息を整える。結果は分かってはいたがやはり悔しい。全力で立ち向かっていったのに、比古は息一つ切らさずに対峙していた。「二人ともすげぇな……」と誰かが呟いた声が、の表情を一層曇らせる。としてはその言葉に見合うだけの動きは出来なかったと感じていた。
「あまり気に病むことはない。あれだけ動けていれば十分だ。いい筋してるな」
「そう、です……か」
 ぽんぽんと比古の手がの頭を撫でる。撫でられると思っていなかったはぽかんと見上げると、ニッと満足気に頷いている。自分ではまだまだ足りないかと思っていたが、少しは認めてもらえたという事だろうか。
「師匠、セクハラ……」
「あ? 何でだよ、褒めただけだろ」
「えー、知らないんですか。師匠が褒めたつもりでも触られるの嫌って人だっているんですよ」
「めんどくせぇ。そういうもんなのかよ……やだったか?」
「え? いや、べつに……」
 比古との手合わせをギャラリーの一人として見つめていた緋村が静かに近づいてくる。静まり返っていた稽古場がそれを皮切りに騒然とし始めていく。比古との稽古を観て触発されたのか、それぞれが中断していた稽古には熱が入っている。皆も認めてくれたのだろうか。それならば嬉しい。
 乱れた息をゆっくりとした呼吸で整えていると、にこにこと笑みを浮かべた緋村がにねぎらいの言葉を掛けながら手拭いを渡してくる。
。今の殺陣、鬼気迫る感じがすごく良かった。連撃も無駄な動きがないし、容赦なく叩き込んでいくかっこよかった」
「……ふぅ……ありがとう緋村」
に師匠の事ぼこぼこにしてほしかったけど、師匠も中々しぶといから」
「おい剣心」
「次はボコボコにする」
……それじゃ話が成立しねぇだろ……」
 やれやれと呆れた表情の比古に、楽しそうに笑う緋村。頭の上から離れていった手。ぼんやりとじゃれ合う比古と緋村を眺める。乗せられた大きな手の感触を思い出しながら、触れられた所にそっと手を当てる。緋村はああいっていたが、決して……
。調子はどう? やってけそう?」
「……うん、何とかがんばれそう」
 台本を持った鎌足がの所までスタスタと近づいてくる。ちらりとまだ言い合いを続けている師弟を一瞥し、自らも鎌足の側へと歩み寄っていく。正直不安がないと言えば嘘になるが、それでもどうにかしがみついてやっていけるかもしれない。それはきっと頼もしい仲間がいるからで。
「鎌足。ここの歌、練習するからアドバイスちょうだい」
「OK! そうこなくちゃ!」
 鎌足と歌い始めると、それに合わせて誰かが歌い始める。それが繋がってまた違う誰かが歌い始める。稽古は初めてのことが多くて大変だけれども、一つのものを大勢で作り上げていくという作業は悪くない。それに、ただ少しだけ褒められただけでもまたがんばろうと思えるならそれも悪くないのかもしれない。

23.02.11 『Show Mast Go On』 初出