合縁奇縁




 ただ一人の人に会いたいという気持ちで危険の潜む京都の街へとやってきたという少女の気持ちは、己が恩人であるあの人に会いたいと思って東京まで行った気持ちとなんら変わりはない。少女の気持ちを理解してしまったからこそ、共感してしまったからこそ、彼女と彼を会わせてやりたいと思った。彼女が探している彼・緋村剣心が誰一人として戦いには巻き込まないと葵屋を出て行ってしまい、一人で過酷な運命を背負い込もうとしている緋村の姿を見て、巻町操はずっと腑に落ちないともやもやしていた。緋村がこれから戦おうとする相手の強大さ。人斬りとしての過去に囚われて自我を見失いそうになる危うさ。そんな状況下でたった一人立ち向かうなど納得がいかなかった。死ぬかもしれないその戦いに一人身を投じるなんてそんなの苦しすぎるし、緋村を想う人達の気持ちはどうなってしまうのだ。京都へ帰郷する道中で緋村には世話になったし、困っているなら少しでも力になってやりたい。過酷な運命が待ち受けている彼が少しでも報われてほしい。  そう思っていた矢先に彼女はやってきた。緋村にただ会いたいから会いに来たと言った彼女・神谷薫。緋村と一緒に京都へ帰郷する道中で東京で別れたという人だとすぐに察した。緋村の身を案じ、危険を顧みずに東京から京都までやって来た。並々ならぬ覚悟を持ってやって来た彼女だからこそ緋村は絶対に彼女と会わせてやらなければならないと思った。そう思えば打って変わって悩み惑うてた心に日差しが差し、気がつけば神谷薫と同行していた少年・明神弥彦を引き連れて白べこを飛び出していた。
 そのために緋村の探し人・比古清十郎の所在を調べていた柏崎念至の元へまず帰ることにした。緋村と別れた時は居場所を掴んではいなかったが、きっと御庭番衆の情報網で情報を掴んでいるはずだ。まずは葵屋に戻り、柏崎に頼んで教えてもらおう。
「あれ、巻町さん?」
 気の抜けた声。穏やかな懐かしい声を聴き、思わず立ち止まった。久しぶりだね。そう言って笑う優男は自分の育ての親である柏崎念至の知人・である。暫く姿を見ていなかったが、元気そうだ。先の戦に出征して帰ってきた時は大怪我をしたと聞いてひやりとしたものだが全快したようだ。――よかった。思わぬ再会にがっしりとの両肩を掴んではしゃぐ。
さん?! 久しぶり! 元気してた!? ご飯食べてる? ちゃんと寝てる? 上司にこき使われてるってぼやいていたよね!? 大丈夫なのアンタの上司?!」
「わっ……待って待って。揺すらないで」
「お、落ちついて操ちゃん!」
「これ、操! くんを困らせないで落ち着きなさい」
 という優男は警察関係の仕事をしているらしく、あちこち仕事で飛び回っている。巻町はそんなから己が探している四乃森蒼紫や元江戸城御庭番衆の仲間達の情報がないかとよく尋ねていた。彼も情報収集の一環として巻町達元隠密御庭番衆の情報網を目当てに訪ねてくるため時折情報交換をしている。警察の情報網で事足りるような気もするのだが、情報源は限定しないらしい。多角からの収集・検証をし、真偽の判定をする。情報網はありとあらゆる手段として手札として持っておきたいようだ。今日もその一環での来訪だろうか。
「おい、操! そんな優男と話してねぇで早く剣心のところに」
 痺れを切らした明神弥彦が声を上げる。そうであった。自分にとっては知人との思わぬ再会であったが、東京から遥々緋村に会いに来たという神谷と明神にとっては縁も縁もない初対面の相手だ。それは蚊帳の外にされては堪らないだろう。
「あ、ごめん。こちら知り合いのさん。警察の……」
「剣心? ……あれか、緋村剣心か?」
 巻町がを紹介しようとすれば、は何の気なしに言った。予想外の発言に驚いたと思ったのはその場に居合わせた全員であった。一気にへと視線が集中する。まさに寝耳に水。巻町も初耳だ。緋村にただ会いたいと京都へやって来た神谷にとっては緋村の知り合いという存在に更に期待が募る。
「あ、あなたも剣心を知っているんですか!?」
「ん? ああ、まぁ昔の知り合いってところかな?」
「え!? さんってばまさかの緋村と知り合いだった……?!」
「まあ敵対してたけどね」
「え」
「気にしないで、昔の話さ」
 何を考えているのかわからぬその顔で目を細めて笑う。他意はないのかもしれないが、神谷と明神はそうは思わなかったようだ。“敵対していた”という言葉に過敏に反応している。神谷も明神も緊迫した表情へと引き締まり、すぐに臨戦態勢を取れるようにと身構え、一歩下がる。巻町にとってという人間は同じ地域に住む顔見知りという感覚であるが、彼らとは初対面であるしそこまでの信用はない。加えて状況が悪い。緋村は志々雄一派と闘うには守りながら闘うには難しいと大切な彼らを危険から遠ざけるためにこの京都の地を訪れた。その想いに反し、会いたいという想いだけでここまで来た。会いたい気持ちが悪というわけではない。であるが、危険を顧みずに来てしまった手前事前に回避できうる危険からは回避しなければならない。万が一危険に晒されたとて、緋村の耳に届けば緋村は飛んできて彼らを助けるだろう。だが助けた後緋村は自分のせいで危険に晒してしまったと自責に駆られるだろう。たとえ緋村のせいでなくとも危険に巻き込まないために一人で来たのに危険な目に遭わせてしまった、と。故に神谷と明神は神経を尖らせて警戒を重ねるのだ。
「敵対してた、っていうのは……」
 巻町は神谷達を一瞥しへと問いかける。彼らよりも付き合いの長い己が間接的に話に入ることで少し緊張感を逸らす狙いもあるが、巻町自身もの昔話など聞いたことがなかったから興味本位でもある。単純に推測する限り、幕末の頃に敵対してのだろう。維新志士であった緋村と敵対していたとなれば、幕府方の関係者であろう。が警察関係の仕事をしているというのはその腕っぷしを買われたところもあるのだろうが、温厚な態度の彼しか見たことがないため中々想像しがたい。
「人斬り抜刀斎とは一戦交えたことがあったけれど、どっかの誰かさんが「俺が殺るとる」なんて言ってくれてしまってね。結局それっきりさ」
「どっかの誰か、さん……?」
「こちらの話だよ」
くん」
 見兼ねた柏崎がを諌めると、彼は肩を竦めた。
「ええ、少し意地悪でしたかね。……でもそうやって気をつけておいたほうがいい。変なのが彷徨いているのが目に付くようになった。今の京の街は危ないから十分に気をつけなさい」
「えっと、あ、あの……ありがとうございます」
「――そんなことよりも、緋村を探しに来たんじゃなかった?」
「そうだ! じいや! こちらは緋村のトモダチ。東京から来たんだよ」
ハッとして柏崎に神谷と明神を紹介すれば、彼もハッとした表情をしてから神妙な面持ちで神谷に語りかける。
「緋村君が今日本の行く末を左右する闘いに挑んでいるのは知っとるな。生半可な……」
「はあ……」
「それもうあたし聞いた」
 巻町はさらに言葉を続け、柏崎の説得を試みる。
「薫さん本気だよ。だから緋村の行く先おしえてって」
「お願いします……」
 深々とお辞儀をした神谷。着物の裾を握り締めた手が震えているのに柏崎も気がついている。生半可な気持ちではない。最初から分かっていた。東京から京都まで人一人に会いたいと願いながら訪ねてくるぐらいなのだから、それが生半可なわけがない。ただ緋村の覚悟を知っているからには会わせてやるべきなのか、本当に危険だからと遠ざけてやるべきなのか。
「わかった。くれぐれも気をつけるんじゃぞ……」
 柏崎が筆を取り出して、紙に緋村の所在を書き留めると、成り行きを見守っていたに向き直る。神妙な面持ちの柏崎にだけでなく、隣にいた巻町も表情が引き締まる。
くん。操達にいて行ってくれんかな」
「え?」
「無いことを願いたいが志々雄の配下の者がいつ襲いかかってくるかもわからん。彼らは京都に来たばかりで土地感もあまりない。警察の君がついていてくれると安心じゃ」
 その提案にきょとりとしていたはふむと少し考え込むような素振りをして、じっと神谷と明神を見た。つられて巻町も彼らを見れば、互いに顔を見合わせて困惑しているようであった。柏崎や巻町とのやりとりを見て、先ほどよりはへの不審感は薄まったとは見える。
 はあと息を吐いた音を聞いて振り向けば、腕を組んで思案していた腕を解いたが柏崎へと向き直った。
「――いいでしょう。それで私は彼らをどちらまで連れていけば?」
「山奥の小屋に住んでいるという新津覚之進という者のところまで。新進気鋭の陶芸作家なんじゃが、その隠し名を比古清十郎という。緋村くんの飛天御剣流の師匠じゃ」
「却下」
「え? あ、待ってくれくん! 待ってくれ! 操! お前もくんを止めてくれ〜!」

 * * *

 柏崎と巻町の二人がかりでを説得し、葵屋を出発してから暫く。用心棒として同行したは暢気なもので、途中で酒屋に立ち寄ったり、馴染みの甘味屋に立ち寄ったり、そうしている間に東山に日が沈み、すっかり日が暮れてしまった。鬱蒼と生い茂る山道を歩いていく。は手提灯を持ち、後ろに連なる巻町達が歩きやすいようにと草木を時折踏みつぶしながら先導していく。晴れた空には無数の星星が光り輝いている。
「うわ。日が暮れたぁ」
「おい。お前がのんびりしてるから日暮れちまったじゃねぇか」
「まあまあ。気持ちはわかるけれども急がば回れ、だよ」
「でもまあ……爺やの調べによるともうすぐだよ」
 柏崎が認めてくれた書き付けを確認しながら、巻町はいう。それには緋村が会いに行った主の情報が仔細綴られている。陶芸家・新津覚之進。その筋では期待の新星とされているが、その実は「比古清十郎」の隠し名を持つ飛天御剣流の剣豪。つまり緋村剣心の師匠にあたる。
「隠し名?」
 明神は知らぬ言葉に首を傾げ、どういう意味だと神谷を見るので、彼女は世間に知られない様に隠匿してるもう一つの名前だと説明する。
「飛天御剣流の場合だと「比古清十郎」というのは本来、開祖の名前でその後代々流儀の全てを会得した者、つまり伝承者が受け継いでるんだって」
「へぇ」
「ふーん――ってちょっと待った! じゃあ!」
 そういう流派なのかとと明神が感嘆を漏らすと、ふと明神は何か気づき、巻町を見る。巻町も先ほどよりも少し昂った声色で続ける。
「そう! ひるがえせば緋村はまだ流儀の全てを修めた訳じゃないのよ! 緋村は何らかの理由で会得し残した技を今こそ会得しようとしてるのよ!」
「じゃあ、剣心は今より更に強くなるのか!」
 「すげェやっぱあいつ人間じゃねぇ」、「バケモンよ。バケモン!」と嬉々として喜ぶ巻町と明神を横目に、神谷は少し浮かない顔をする。より強くより強く……そうして探求するのは剣客として当然ではある。そうであるが……
「おやおや。緋村もひどい言われようだね」
 二人が緋村のさらなる飛躍の予感に嬉々としているところに、先を歩いていたが神谷の隣にやってくる。歩く振動でゆるやかに手提灯が振り子のように揺れ、照らされる影も揺らめいている。神谷はという人物をまだ見極めきれない戸惑いを感じながら、おずおずと答える。
「え……ええ」
「心配かい?」
「……そうですね。少しだけ」
「緋村は君たちを大事に思っているから、強くなろうとしているのだろう? ならば、信じてあげればいい」
「え」
「今はそれだけで十分。……ほら、巻町さんと明神くん。嬉しいのはわかるけど、そろそろ先に進もう」
 さっさと用事を済ませて晩酌でもしたいよと相変わらず暢気な調子で先頭を歩き出すと、二人から元はといえば、回り道したが悪いと文句が飛ばされるが、素知らぬ顔で進んでいく。山道を突き進み、暫くすると山間の開けた場所に出る。山小屋とその手前には竈門。おそらくこの釜で焼物を焼くのだろう。ここが陶芸家・新津覚之進。基、緋村の師匠・比古清十郎が住むという場所なのだろう。小屋の前まで近づいて、柏崎からの書付を確認するが、間違いないらしい。いよいよだ。再会に期待を膨らませ晴れやかな表情の明神の傍ら、神谷の表情は別離からの日々を思い出して硬くなる。静かに手を胸当てて、ぎゅっと握る。
「じゃ行――」
「やはり、お前に飛天御剣流を教えたのは間違いだったかもな」
 小屋の中から突如聞こえてきた言葉に、巻町と明神はぎょっとして、小屋の入り口に掛かっている簾を吹き飛ばして中に入っていく。納得できないと抗議の声を上げて、中にいる人物に噛みついていく。
「なんだなんだ今の発言はいったいなんだ!」
「なんだ。お前たちは?」
 とんっと、軽く背中を押されて、神谷は振り返る。がぐっと握りこぶしを持ち上げながら一歩踏み出すんだよと目を細めて笑う。
「ほら、会いに来たんだろう」
 こくりと背中を押してもらった神谷は緊張した面持ちで、一步小屋の入り口に立った。
「操殿、弥彦……」
 小屋の中には、壁沿いに囲うように棚が立ち並んでおり、その棚には新津が作ったであろう焼物が所狭しと並んでいる。奥には文机に、囲炉裏。部屋の隅には疊まれた布団。生活雑貨が思いの他雑然としている。その中で、対面するような形で緋村と新津が座っている。
「……薫殿」
 は二人の再会を尻目に、空を見上げる。澄み渡る空には二つの光り輝く星が美しく光を放っている。織姫と彦星が再会を喜ぶように。さて帰るかと踵を返したところで、小屋の中から声が掛かる。
「おい、お前も外にいねぇで入れ」
「私はここまで連れてくるのが仕事なので」
「いいからつべこべ言わずに入れ」
「……仕方ないなぁ」
 ふっと提灯の火を消して、小屋の中に一歩踏み入れれば、皆が驚いたようにを見ていた。「殿……」と虚を突かれた表情を浮かべる緋村を横目に、はここへと来る前に買った酒瓶を新津に向かって投げ渡す。

「それはいきなり押し掛けた詫びです。お久しぶりですね、新津先生」
 にこりと笑ったの目の奥はどこか笑ってはいなかった。

25.01.28 『合縁奇縁』 初出