隣の席の少女は、自分に対してどこか余所余所しい態度を取る子だった。黒髪のセミロングの少女。柔らかい目元に、白い肌の大人しそうな少女。どのクラスにも一人いるような快活として、動きまわる事を好み、運動部に所属していそうな女子とは対照的の、文芸部や家庭科部に所属していそうな典型的な文化部タイプの女子。回りくどく言うたが、所謂、彼女は一般的にいう典型的な文化系女子である。
隣人と言う事で授業内でのペア作業といった場合等に事務的な会話を交わすが、数えるほどしか目があった覚えがない。視線を泳がせながら会話をする少女に、初めこそ人気モデル”キセリョ”こと黄瀬涼太の奥手なファンの少女が本人を目の前にして緊張して恥ずかしがっているといった所と高をくくっていたが、会話を重ねて行くうちに、緊張して話せないという類の言動ではない事に気が付いた。視線を反らしながらどこか居心地悪そうに話す彼女。その表情は僅かに引き攣り、黄瀬との接触を避けたいような節であった。それは彼女から黄瀬に対しての拒絶を暗に示していた。
モデルとして芸能活動をする黄瀬は人に好かれる事の方が多いが、少なからずとも彼女のような否定的な人間は必ず存在する。人は誰にでも好かれる訳ではないから当然だ。たとえば10人いれば、2人は自分に対して好意的思い、残りの6人は無関心、最後の2人は自分に対しての嫌悪するという。つまり十人いたら大半は自分に対して好意的ではないということで、誰もが自分の事を好いてくれる訳ではない。幾ら頭が悪いと言われても黄瀬自身その程度の事は理解している。暫し観察した所、彼女の態度から好かれてはいないのだろうと察したが、一方的に苦手意識を持たれ、あからさまな態度を取られるというのは不愉快である。加えて、彼女は黄瀬を嫌っている癖に黄瀬の何かを頻りに気にするように一瞥を送るのだ。嫌いならば嫌いで放っておけばいいものを、追い討ちを掛けるような行動をするため、彼女に対しての苛立ちは募るばかりだ。嫌いならば嫌いきって欲しいというのが黄瀬の本音である。嫌う理由があれば黄瀬にも遠ざける理由が出来る。中途半端に黄瀬を気に掛けるから、苛立ちやら期待やらが歪に入り交じり、心許ない気持ちにさせる。
誰だって人に嫌われるよりは少しでも多くの人に好かれていたい。黄瀬も例外ではない。中途半端な心入れは黄瀬を一喜一憂させる。


「……さんは、何がしたいんスか」
「……黄瀬くん?」

教室の隅。斜陽が差す部屋。小さな手紙を書いてひっそりと呼び出した彼女は、まるで鬼灯の花のように赤々とした夕日を眺めていた。その黄昏を見た黄瀬は思わず見入ってしまったが、彼女を部屋の端へ追い詰めるように迫っていく。


「黄、瀬……君?」
「――ねぇ、サン。俺の事嫌いならば放っておいてくれない?」
「え?」

ぐるり動いた茶色の虹彩が黄瀬を捉える。久々に目があった黄瀬は綺麗に透き通った色をしているなと暢気な考えが脳裏を過るが、即座に切り捨てて問い詰める。


「俺はさ、人間だから誰それとは馬が合わないから嫌いとかあるのはわかるけれどさ、俺は君に何かをした覚えはないのに避けられるのは理不尽と思うッス。それこそ気付かない所でサンの怒りを買ったなら仕方ないし、それは無意識で起こしたことを自覚なしで謝ったところで意味がないからそれは謝らないッスけど。アンタのその態度、気にくわない。あからさまに視線を反らすくせに、俺と距離置こうとするくせに、俺が答えられない問題を当てられる度にこっそりと紙に書いて親切に教えたりするのってなんなんッスか。俺を嫌うには中途半端すぎやしないッスか。どういうつもりでいるんッスか」

畳み掛けるように吐き出される言葉に彼女は唖然として黄瀬を見ていた。大きく見開いた目を見て黄瀬は泣き出すのか、と醒めた瞳で彼女の言葉を待っていたが、彼女は存外冷静だった。ただ鎮痛の面持ちで、黄瀬に謝罪をするため、少し虚を付かれたものだ。


「ごめんなさい」
「……何に対して」
「不愉快な態度を取ってきた事。……黄瀬くん。私、黄瀬くんの事嫌いなわけじゃないのよ。ただのカッコイイクラスメイトでお隣サンぐらいには思っているのよ」
「……その言い方もどうなんッスか」
「嫌いじゃないよって理由付けだったんだけれど」
「……まぁ、いいッス。トラブルは避けたいッスから嫌われないに越したことはないッス」
「まぁ、隣にいて居心地はすごく悪いのは紛れもない事実だよ」
「何でそこで上げて落とすんッスか!!」
「それは本心だからそこはハッキリさせとくよ。黄瀬くんは私の態度ハッキリさせて欲しそうだったし」
「俺、サンはもっとオブラートに包むような物言いする人だと思っていたッス……」
「親しいわけでもない人には最初からため口なんて聞かないものでしょう?」
「そりゃ、光栄ッスけど。腑に落ちねぇ……」

げんなりと肩を落とした黄瀬であったが、話す前よりも幾分かスッキリとしていた。自分は彼女に嫌われていなかった事が大きい。嫌われるよりは少しでも好意を持たれている方が矢張いい。嫌われていないならば相手に余計な神経を回さずに済むし、互いにギクシャクする必要もない。だが、まだわからない事がある。彼女が黄瀬を避けていた事だ。彼女の話が本当ならば黄瀬を避ける理由等ない筈だ。隣の席で居心地が悪いともいう。特に嫌われているわけでもないし、彼女に嫌がらせをしたわけでもない。避ける理由など黄瀬には皆目検討もつかなかった。
ならば何故か。


「ねぇ、サン。嫌いじゃなかったら何で俺の事……」
「…………凄く、言いにくいことなんだけれども」
「何ッスか?気になるじゃないッスか!教えて欲しいッス」
「誰も信用してくれなかった、黄瀬くんもきっと信じられないよ」
「決めつけんなよ サン。俺は俺だ。聞かなければ信じるも信じないもないだろ」
「そりゃそうだけども……」

先程までのサラリとした物言いから打って変わって言い澱むようなものになる。言うべきか言わぬべきかと考え込むような戸惑いが彼女の顔に浮かんでいる。それほど言いづらい理由なのかと首を傾げる他ない。ふと、夕日に滲む空に烏がしゃがれた声で鳴く声が耳に入る。窓の外に視線を移すが、烏の姿を捉えることが出来ない。しゃがれた烏の声だけが鼓膜の中で反響していく。烏はテリトリーに近づく敵を低い声で威嚇するのだと誰から聞いたことを唐突に思い出した。


「――……私さ、見えちゃうんだよね」
「は?」

何が、という言葉を継げない。あまりにも要領を得ない言葉に面を食らったのだ。理解しがたい得たいの知れぬ言葉に黄瀬はただただ反応が出来ない。彼女の言葉の意図が見えない。何かを誤魔化す為に放った偽りの言葉ではない。それは理解出来る。黄瀬に対して何かを思い、気まずそうにしていた彼女との会話に触れて嘘を吐いている様子もなければ、平気で嘘を吐くような性格ではなさそうである。その彼女は神妙な表情で黄瀬を凝視している。茶色の透き通った瞳が綺麗で思わず見入ってしまうが、その視線の違和感に気づく。よく見るとその瞳の先は黄瀬ではなく、黄瀬の――……


「黄瀬くんの事好きすぎて愛が重いんだよね、黄瀬くんの回りにいるお姉さんとお兄さん達。近くにいるだけで何度も嫌がらせしてくるし、睨まれるし。「ちょっと待って待って!!何言ってっ!」
「黄瀬くん」

有無を言わさぬ芯の通った声だった。何かを決心した瞳に、口を噤み、今から告げられる言葉が不穏なものであることは会話の流れから嫌というほど理解してしまう。


「今黄瀬くんの後ろにいるお兄さんとお姉さん達ね、黄瀬くんの事が好きなんだって。だから物理的に近くにいる私の事が邪魔で嫌がらせしてくるんだよね。窓から落とそうとしたり。たまに黄瀬くんの所に来るファンの子失神しちゃう子いるでしょ?あれも……ね。黄瀬くんが近くにいるとお兄さん達を怒らせちゃうの。私、見えるだけでお祓いとか何も出来ないし、近づかない分には何もされないし、怖いからあんまり関わらないようにしてたんだよね。……ごめんね。」

彼女の話に顔が引き吊っていき、居てもたっても居られずに黄瀬は勢いよく振り返った。彼女の見つめていた先には教室の扉や机が見えるだけで何も見えなかった。彼女の話は到底黄瀬には理解しがたいものである。話をしろと促したのは黄瀬自身、信じるか信じないかわからない前から決めつけるなと言った手前ではあるが、到底自分自身に見えないものを信じられる程黄瀬は寛大ではない。信じられない。否、信じたくない。だが、得たいの知れぬ何かに自分の内面から脅かされていく感覚を感じ始めていた。黄瀬の体内から全身の血の気が引いていく。しゃがれた烏の声がまた何処かで鳴いている。風もなくカーテンが揺れる。喉がカラカラになる。彼女のいうお兄さんとお姉さん達などいない、知らない。自分の回りに誰かがいるはずがない、絶対にいるはずがない。
この教室には最初から黄瀬と彼女しかいなかったのだから。