*変換なし






遠征帰りの道すがら、小間物屋の紅が目を引いた。本丸で俺たちの帰還を待つ主の事を思い出して、その紅が急に欲しくなった。あの人に似合う美しい真紅だ。
直ぐにそれを手にとって、店主に銭を差し出せば、邪推した店主はにたりと下品な笑みを浮かべて紙袋に包んだ紅を渡してきた。上手くやれよ、と下品な妄想をされるのは不愉快であったが、強ち間違いでもないため、苦笑いで返答するしかない。

改めて手の内にある紅を見て、買ってしまったことを後悔した。勢いで買ってしまったものの、どうすればいいのか途方に暮れてしまう。我に返ってみれば何だかこそばゆい。
良く良く考えれば主は身形に気を使う光忠や加州とは違い無頓着、否、正確には服装に対しての戒めがあるようだった。女物の着物は一切合切着ることはないし、万屋で買う着物は必ず男物。中性的な顔立ちも相俟って、男物の着物を着ていれば一般人には普通の好青年と間違えられる。女でありながらも男であるような振る舞いをするため、演練で会う他の女性審神者を魅了している節もある。本人も満更彼女達に好感を持たれるのは嬉しいようで、紅を渡した所で意味など成さないだろう。

「……似合う、と思うんだけどなぁ」

ちらつく主の姿。
一度だけ次郎太刀と乱藤四郎にせがまれ、根負けした主が初めて俺たち刀剣男士に見せた女性装。控え目で落ち着いた化粧、鮮やかな紅で引かれた口紅、目元を縁取る上品な黒、椿油で艶々とした漆塗りの黒髪。
普段青年として振る舞う主とはまるで別人のように変わり、その姿に本丸内の刀剣男士達は息を飲んだ。――俺もその中の一人。正直、予想以上だった。
普段の風貌や振る舞いから忘れてしまいがちだが、彼女は紛れもなく女だった。

「鶴丸国永?」
「あ、主!?」

物思いに耽っていたせいで肩越しに顔を覗き込まれるまで主が近くに居たことに気づかなかった。思いを馳せていた人物の登場に心臓がびくりと跳ね上がる。

「鶴…?」
「あ、いや。疲れてぼうっとしてたから驚いた。こりゃ一本取られた!」
「そうか…そういえばお前さんは遠征に行ってたのだったね、ご苦労さま」

目を細めて俺の頭を撫でる主が穏やかに笑うのを最近知った。最近まで仮面被っていたのだが、その素顔が明るみになった。本丸中に知れ渡ったことで主は仮面を被るのを止めたのだが、仮面をしていた時は表情が窺えず、よく加州や短刀達が不安がっていた。あまり自己主張しない人であった上に仮面等しているから余計に何を考えているのかわからなかった。だが、こう顔を付き合わして見るようになって俺たち刀剣男士の事をよく見てくれているのがわかった。素っ気ないようでかすり傷でも怪我をすれば直ぐに手入れをしてくれるし、すました顔をして短刀に結構甘い。個性の強い俺たちの我が儘も何だかんだで聞いてくれたりして、俺の驚かせも意外と気に入ってくれているようだ。少し遠く感じていた主が近付いたみたいで嬉しかった。こうやってお疲れさまと労って撫でられるのは心地が良くて好きだ。

「主」
「何だい?」
「……これ、主に似合うと思って」
「……紅?」

案の定、ぽかんと驚いた表情を浮かべた主。驚きを提供できた嬉しさもあるが、少しだけ愛らしいと思ってしまった。
貝殻を開いて紅を薬指で掬い取る。彼女の唇の前に手を翳せば、少し戸惑いながらも瞼を下ろした主。恐る恐ると唇に触れれば、柔らかい感触にどぎまぎした。禁忌に触れたような甘美な感覚に痺れる。唇の上に薬指を滑らせて愛撫するように紅を塗ると、鮮やかに色付いた唇にはっと息を飲んだ。

「きれいだ」

無意識に零れた言葉に長い睫毛を震わせながら瞳を開く主。鮮やかに色付いた唇。はあと一息吐いた半開きの唇が色めかしい。鶴丸と俺の名前を呼ぶ。背筋をぞくぞくとさせて身悶え、背徳感を感じていれば、主は俺の両頬を掴むと、唇をそっと重ね合わせてきた。優しい彼女の匂いがする。柔らかくて目眩がしそうになる。優しく触れるだけの口付けにふわふわと心が弛んで恍惚としてしまう。

「きれいな鶴ね」

名残惜しくもゆっくりと離れた主が俺の手のひらから貝殻をとって薬指で紅を掬いあげる。俺が彼女の唇に紅を塗ったように彼女は俺の唇にもそっと紅を引いていく。手入れをされる時のように大切なものに触れるような繊細な手つきで触れられて心が落ち着かない。俺を見上げる主を見下ろす俺。少し色が落ちた主の唇に目が留まり、先ほどこの唇に口吸いをしたのだと改めて自覚すると身体の内側から一気に熱くなっていく。どくどくと忙しない心臓。この不整脈を静めようとする俺の気持ちを知らずに主は俺を見て、驚いたかと柔らかく微笑んだ。その瞬間、俺はどうしようもなくなってしまって、彼女の事を力一杯抱き締めると、色の落ちた唇を再び色付かせるために口付けを落とした。