*暗い。変換なし










 眩い太陽みたい、だと思った。

 鍛刀によって息吹を吹き込まれたのが僕。短刀・小夜左文字として人の形を取った僕が眼を覚ました時、その人は打刀の近侍と一緒に僕を出迎えた。きらきらと星が瞬くような輝きを瞳に灯したその人は僕の新しい主だった。主は僕を見るなり、顔を綻ばせて僕と出会ったことを大層喜んでいた。とても変な人だ。

後々その時の近侍・加州清光に聞いてみれば、僕は加州清光の次に本丸にやってきた刀らしかった。加州清光は政府から支給された一振りだったらしく、主が鍛刀した刀ではないらしい。つまり、審神者として初めて鍛刀したのは僕だったようだ。審神者として駆け出しの主が初めて自分の力で鍛刀した刀。だから初めて出会った時にすごく喜んでいたんだと懐かしそうに話す加州に、そういうものなのかと思いつつも、一応は合点がいった。それにしたって、僕なんかが来て喜ぶ主は変な人だと思った。

 主はすごく甘いと思う。
 皆に内緒で主の分のお菓子をこっそりと僕にくれたり、一緒に万屋へ買い物へ行った時には僕に何かしら買い与えてくるし、僕の内番当番を一緒にやってくれたり、僕と鉢合わせればにこにこと顔を綻ばせて頭を撫でてくる。僕が怖い夢を見て眠れなくなってしまった時は他の皆に内緒で添い寝してくれる。戦場から怪我をして帰れば、掠り傷程度でも血相を変えて手入れ部屋に連れられる。ごめんね、私の代わりに痛い想いをさせて、と泣きそうな顔で手当をする。――それは少し過保護すぎると思う。
 僕は刀だ。僕達刀は戦う為の道具だ。傷ついて当たり前。傷つけるのは当たり前。大太刀や太刀、打刀、脇差しは勿論、僕と粟田口達の短刀だって皆当然だと思っていることだ。そう思っていないのは刀を使う事を知らない平和な世界から召集された主だけ。
甘っちょろくて、脆弱な主。僕達刀剣達の事を手放しに信用する馬鹿な主。

「復習?よくわからないけれど、小夜ちゃんや皆と折角会えたんだからもっと笑ったりして一緒に過ごしたいな」

 暢気で、馬鹿みたいに、天真爛漫に笑う主。屈託のない姿に不安を覚えざるを得なかったけれど、警戒心の強い大太刀や太刀達もそんな主に呆れつつ、表裏のない人柄に惹かれて主として慕っていた。警戒するのも阿呆らしいと思ったのは僕だけじゃなかった。皆すぐに主を好いていった。
主がいる本丸は毎日が日溜まりのように温かくて、とても心地良い場所になっていく。
愛染国俊や蛍丸や今剣と一緒に廊下の雑巾掛け競争をしたり、燭台切光忠や薬研藤四郎とおはぎを作ったり、短刀達や鯰尾藤四郎や鶴丸国永と一緒に隠れ鬼をしたり。
主と他の刀剣達と一緒に過ごす穏やかな時間が僕の復讐への執着の慰みになっていた。化膿していた傷口が少しずつ乾いていくように、主や他の刀剣達が僕の心を救ってくれていた。
 僕は、僕は、主が――……





「――……あ、るじ?」

 パチパチと弾ける音と橙色が揺れている。
遠征に出掛けて、お帰りとだらしのない顔で出迎えるいつもの主の姿をお思い出しては目の前に現れてくる敵部隊を倒していった。資材を見つけては、これで皆の為の盾兵の刀装が一杯作れるねと嬉しそう笑う主の顔を思い出した。
作戦を考えていた部隊長の加州清光や燭台切光忠が帰還を提案して、蛍丸がやっと主に会えるねと嬉しそうにしていた。
僕も主に早く会って、最近本丸に来た同じ左文字の刀剣・江雪左文字の為に、強い盾兵を作るのを手伝ってもらおうと思いながら、帰還したのに。

「あるじ、あるじ!」

 轟々と本丸が燃えている。本能寺で歴史修正主義者と戦った時のような地獄絵図。僕達刀剣男士が敵陣に出陣したり、遠征へ出払って本丸が手薄になっている間に襲撃されたらしい。先に戻ってきていた第一部隊が敵を殲滅せんと刀を振るっているのを横目に、僕は主の事が気がかりで駆けだしていた。誰かが僕のことを呼び止めようと声を張り上げたのも振り切って、ただ必死に走った。
 脳天気な顔で笑って帰還を労う主の姿が見えない。僕ら刀剣男士が帰るのを今か今かと玄関口で待ちかまえている主の姿がない。笑って迎えてくれて、優しく包み込んでくれる主の姿が見えない。
いつの間にか、心地良く感じていた主や皆との本丸の時間。焼け落ちていく本丸に、焦燥感がじわりじわりと蝕んで最悪な妄想ばかりが頭を過ぎる。きっと第一部隊の太刀や大太刀達が主を助けてくれていて、僕が焦るのも杞憂なんだ、そうに違いない。必死に最悪な結末を振り払いたくて雄叫びを上げて突き進んでいく。ただ、杞憂であってくれることだけを祈って。飛びかかってくる大太刀も太刀も斬り伏せていく。負ける気はしない。ただ、心に引っかかるのは主のことだけ。

「主!」

主の部屋に勢いよく踏み込めば、そこには敵の打刀が主の心臓を一突きしたところだった。赤い血潮が吹き飛び、くの字に折れ曲がった主の身体。ぐっと刀が引き抜かれると、さらに身体から血が吹き出して、ふつりと切れたように床に崩れ落ちた。よく見ると辺りには見覚えのある長さの違う折れた刀が散らばっている。
墨が筆先から転がり落ちて半紙を黒く染めていくように、心が黒く染まっていくような感覚がした。それが心に触れた瞬間、ぐらぐらと揺れてそれは激しさを増していく。それは薬缶のお湯が沸騰していくように。
この沸騰していく感覚は何なのか。僕はすぐにわかってしまった。抑えきれないほど急激に膨らんでいくこの感情は怒り。
怒りが、爆発する。

主、主、主主主主主主主主主主主主主主主っ!

止めどない怒りが雄叫びとなって爆発していく。沸騰して飛び跳ねる熱湯のようにぐらぐらとぐらぐらと抑えきれない感情があふれ出ていく。うなり声を上げる敵に、止めどない怒りをぶつけるかのごとく、勢いよく飛びかかって敵の打刀へと刃を突き立てていた。

痛い、痛い、痛いっ!

心が苦しい、悲しい、悔しい、憎らしい。
感情が迸り、抵抗する打刀の刃が肉を斬る感触を感じながらも喰らいながらも、短刀を持つ手に力が入る。
主を殺した忌々しい敵に容赦なんていらない。主を殺したくせに命乞いをするような気持ち悪い悲鳴を上げる敵が憎い。こんな奴のせいで主が死ぬなんて許せない。主が、主が、主が。
刀を知らない主は知らなくていい痛みだったのに。主はただ暢気に笑っていて本丸にいてくれれば良かったのに。こんな感情なんて必要なかったのに。

ぐっと肉を引き裂けば、敵の断末魔が響きわたる。耳障りな雑音に顔をしかめながら止めを素早く振り下ろす。
何度も、何度も刃を振り下ろす。

――小夜ちゃんがもう誰も恨まなくてもいい世界になるように私頑張るね

はた、と主の声が脳内に響いて手が止まる。からんと手から握りしめていた短刀が滑り落ちる。握りしめていた手は血塗れになっていて、主を殺した敵の打刀は見るに耐えない姿となって既に息をしていなかった。僕は何をしているのだろう。心がただただ空しい。内側から競り上がってくる感情がただただ恐ろしい。目から沢山の雫がはらはらと滑り落ちていって苦しい。
もやもやとした気持ちが不愉快で、転がっていた主の亡骸を抱きしめたけれど、どんどん冷たくなっていく身体の温度に、あの温かいぬるま湯のような日々を夢見ることしか出来なくなってしまったことに気づいてしまった。

 ああ、もう誰も恨みたくないのに。