薄暗く息苦しい空間。畳四畳程の粗末な板張り、その空間を等間隔に囲う太い格子。格子に覆われる空間の外側の壁に掛かる燭台の仄かな炎は小さく震えている。 その四畳分の格子に覆われた空間に彼女・は力なく転がっている。ぼんやりとしている彼女の顔。今しがた意識を起こしたばかりで混濁しているようだ。うつらうつら、と開いた瞼が早速閉じかけている。そんな状態ではあるが、彼女自身の意思としては完全に身体を覚醒させたいらしい。気怠げに唸り、重たげに瞼を抉じ開けた。はたはたと緩慢な瞬きを何度も繰り返し、視線を這わせる。その空間を把握するように、視覚情報見逃すまいというように、視線送りをして身動ぐ。
ふと、金属の擦れる音がした。聞きなれない音だ。身動いだ瞬間に聞こえたと言う事は、金属片を身に付けているということだろうか。それは不可解なことだ。日頃から金属を身に付けていなかったし、身に付けた覚えはない。金属片が擦れる音などしないはずである。では何故金属片の音がするのか……
「……なん、だこれ、は……」
手首と足首に巻き付いた拘束具。これがの身体の巻き付いて金属片の音を発生させていたようだ。
とんだ囚人扱いだ。よく見てみると意識を醒ます前まで着ていた筈の寝間着から上等な着物に変わっている事に気付く。拘束された腕を持ち上げて袖を繁々と観察してみる。
肌触りが良く美しい装飾の着物。上品な藤色のその着物は今までにが着た事のないような上質な着物だ。庶民のが着られない着物で、時代が時代ならば、それこそ、大名の奥方や姫が着ていた様なものだろう。
そんな着物が着せられていると気付いたは唖然とそれを見つめる。これもてんで覚えがない。普段着ている着物は男物だ。女物は着ない、確実に。そうなると誰かがに着せたことになる。誰がどのような意図でに着せたのか、どうして枷など付けているのか、このような仕打ちをされる原因と思惑を考えてみるが思い当たる節は特にない。恨みを買う事はしでかしてきた筈だが、このような矛盾した扱いを受けるのは何とも形容しがたい。
一体、どういう状況なのだろうか。
「――おや。目、覚まされたようですね」
「え?」
気づかなかった。
気配に過敏なであったが、降り注いだ言葉に弾かれたようにして顔を上げる。愕然とした。その声の主の気配を感じ取ることが全く出来なかったのだ。普段ならば眠っている時だって誰かが接近すれば僅かな足音や息遣い、気配などを感じて起きるぐらいの。他人との距離をしっかり線引きするにとって衝撃は大きい。
呆然と固まってしまった彼女を嘲笑うかのように、その声の主は等間隔の格子の隙間から白く繊細な腕を伸ばして彼女の頬を愛撫する。それは、の感触を確かめるような愛撫は、まるで、愛玩動物にするようなそれと一緒だ。執拗以上に撫で回されてハッと我に返ればその腕を振り払って睨み付けた。
こいつが、をこのような状況に追いやった張本人なのだと嫌と言うほどに思い知ったのである。
「――宗三左文字、これは一体、どういうつもりなんだ」
「どういうつもり、とは?」
「こんな所に私を閉じ込めて何がしたいのかと聞いている。私に対しての不服か?」
「何をそう息巻いているんです?私はあなたに対して不満などありませんよ。寧ろ、やっと刀として扱ってくれるあなたという主に出会えて満足しているくらいですよ」
語気に苛立ちを含ませたを、宗三左文字は不思議そうに見つめる。その眼差しは意図があると言うわけではなく、本当に理解できていないというようだ。それどころか、腹を立てているのは腹を空かせているからか、と的外れな問いを投げ掛けてくる始末であり、それにはも絶句し、怒りは一転、気色の悪さを感じ始める。
宗三左文字の様子が可笑しい。
少なくとも彼がと他の刀剣男士達―― 刀剣の付喪神が人形をとり、顕現した ――と本丸で生活していた時はこの様な不可解な様子はなかった。本丸の大将であるに嫌味をいいながらも殲滅すべき敵である歴史修正主義者や新興勢力の検非違使との戦いや畑仕事の内番やらの勤めを果たしていた。
前の主達からの扱いのせいで少し捻くれてはいたが、それでも同じ左文字派の兄弟達や本丸にいる刀剣男士達と穏やかに過ごしていた。宗三左文字の言っていることに嘘偽りがないのならば、なぜ、に対してこの様な仕打ちは何なのだろうか。
幽閉されるのは審神者であるが邪魔な存在であるからか。彼の鎌倉宰相が幽閉されたように。
「宗三」
「――ねぇ、これであなたは何処にもいけないでしょう」
「え?」
目を細め、を見つめる宗三左文字の瞳には枷が付けられたの姿が映っている。
「僕は何だかんだで、あなたのいる本丸が好きでした」
「――宗三?」
「検非違使と歴史修正主義者が本丸を襲撃した時は気が気でありませんでした。あの日ほど、遠征を恨んだ日はありません。あなたが死んでしまうと思いました」
「……」
「襲撃後、満身創痍だったあなたは暫くして快復しましたが、僕の心は穏やかではありませんでした。またあの日のように襲撃されたらどうしようかと悩みました」
口をどう挟むべきか逡巡してしまった。彼はそのようなことを考えるのかと思った。それは彼なりにを慕っての言葉であるし、審神者としてこの上のない誉だ。だ。だが、何故だろうか。この多弁に話す宗三左文字が可笑しい。何か嫌な予感がする。
「――でも、もう何も心配はありませんよ。あなたはここからいなくなることはないのですから」
「は?」
「これからはずっとここにいてくれればいい。本丸を維持するために僕の主であるだけでいいんですよ」
「何を、言ってる……?」
「もう大丈夫ですよ、本丸の事は全部僕がやりますから」
満足そうに笑みを浮かべる宗三左文字に、はぞっと鳥肌を立てる。本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
もしかすると、このままでは、私は――
「っ宗三左文字!!ここから出……」
「あなたはこの中にいれば、それでいいんですよ。ずっとこの安全な檻に包まれていれば、もうあなたを失う危険なんてないんですからね」
胸の奥がぐっと捕まれたような感覚がしてはハッとした。背中には冷や汗がじっとりと浮かんでいるのを感じる。悪い夢でも見ているかのように、心が騒めいている。目の前にいる宗三左文字という付喪神の本質に触れて、気味の悪さに動揺してしまった。
拘束具が擦れあって耳障りな音を出す。この格子に囲まれた四畳の空間はを閉じ込めるための檻だった。それは全部、宗三左文字という一振りの刀剣の付喪神が審神者を求めたからだった。
考えもしなかったその事実に、は狼狽える。歪に歪んだ感情は思いの外、毒々しい。宗三、と絞り出した声は掠れていて、呼ばれた宗三左文字は目細めて歓喜するようにの手をとって口付けを落とす。そして、彼女の柔らかい頬や漆色の髪、少し渇いた唇に触れると壊れ物に触れるような手付きで愛撫し始める。もう格子を揺さぶる力もなくなってしまった。全てが、手遅れだ。
――もう、籠の鳥になる他あるまい。