朧月が浮く夜、草木も眠る頃。ふと体が目を覚ます。人間の体を持つようになってから知る感覚。人間とは面白いようで、ふとした瞬間面倒くさいところもある。
 用を足しに宛がわれた部屋を密かに抜け出し、足音を殺す。ひんやりと夜の冷たさを抱える廊下を歩いていれば、寝静まる本丸内で誰かが起きている気配がすることに気がついた。おやと首を傾げたが、そういえば心当たりがある。起きているとすれば見張り番の連中だ。それならば夜更けに体を休めずに起きている理由に納得がいく。とはいうものの、見張り番の連中は退屈している様子だ。見張りの意味があるのかと言うような弛んだ気配。今襲撃にあったら簡単にやられそうだ。あれ以来、襲撃など一度もないから気持ちもわからなくはないが……。見張り番の意味があるのだろうか。

 そもそも、見張り番ができたのはここ最近。本丸奇襲事件があったことで始まった。本丸の絶対安全神話が崩れ落ちたのもこの時である。
 歴史修正主義者や新興勢力の検非違使が本丸を襲撃する事件。この本丸だけではなく余所の本丸でも起きた事件であり、この本丸は不運にも両方の襲撃を受けた。
 当日、出陣や遠征に兵力を割いていたこの本丸にとって、この襲撃は大打撃であった。幾人かの刀剣男士は本丸に待機していたものの、大半の兵力は不在。残っていた者達は前日までの出陣や遠征での疲れや怪我を癒しているものが大半であった。圧倒的な戦力不足の中、拠点陥落だけは回避したい主が遂に刀を抜いて戦う大騒動。辛うじて敵を返り討ちしたが、帰還した刀剣男士達が見たものは満身創痍の主と怪我をした待機組の面々であった。本丸は落城しかけており、今思い出すだけでも身の毛がよだつ状況であった。よく持ちこたえたものであると今思い返しても寒気がする。

 その事件、本丸奇襲事件を教訓に交代で見張りを置くという見張り当番が誕生したのである。
 審神者は、自分の身は自分で守るぐらいの余力は残っているからそこまで気張らずよい、とあっけらかんとしていたが、主人を案じるへし切り長谷部や一期一振達に他人事にするなと叱られていた。それでも当事者は過保護だなと他人事のように苦笑いしていたが、へし切りが目を血走らせて噛みついたので、少し顔を引き吊らせながら出来たらでいいと譲歩していた。
 僕もその場にいたけれども――……正直引いた。

 そういった経緯で大太刀と太刀、打刀中心として警固する事になったが、正直暇だ。あれ以来、本丸が奇襲されたことはないし、奇襲の奇の字もないくらい何もない。もう敵は殲滅し尽されてしまったのではないかというぐらいに、穏やかな夜を過ごしている。
 主の自室の前の縁側には、今日の当番の陸奥守吉行が眠っているのが見える。余程暇なのだろう。主の言う通り見張りなんていらないんじゃないかと思う、が……
 ――おや?

「――……ねぇ、何をしているの」
「大和守安定」

 静かに近づいていけば眠りこけている陸奥守の近くに1つの小さな影。藍色の着物、見覚えのある大小。静かに濁る瞳。
 僕の――、僕たちの、審神者。
 暢気な顔で眠る陸奥守に、審神者が普段羽織っている羽織が被さっていて、彼の近くには引っくり返った湯飲みがある。故意的に眠らされているのだろうか。
 この人の考えている真意は見えないが、状況や彼女の経歴から仮説するとどうしても嫌な予想しか浮かばない。
最近侵攻されていると報告のあった時代は、僕達、新選組隊士に縁のある刀剣男士とこの審神者に縁のある時代。

「大和守?どうし……」
、やり直すつもりなの」

 一瞬、淀んだ瞳が揺らめいたのを見逃しはしなかった。
 何を、と返答しない辺り、僕の言葉の意図を理解しているのだろう。
 一気に詰め寄ると、強めに手首を掴む。彼らと一緒に戦っていた時よりも、以前よりも、少し細くなった気がする。刀を振るっていた腕は、随分と華奢になってしまったようだ。小柄な審神者が大の男達に交じり目にも留まらぬ速さで斬撃を繰り出し、敵を仕留めていく剣捌きは見事に鮮烈であった。それが、今ではすっかりとなりを潜めてしまった。”盛者必衰”そんな言葉が脳裏に過り、目の前の審神者を見ては焦燥感が掻きたてられていく。いつか崩れてしまうのではないかという焦りを感じさせる人だ。不安定で放っておいてしまった消えてしまいそうな、壊れてしまいそうな、人だった。

「――アンタは行けないよ。時間を遡る事が出来るのは僕達刀剣男士だけだから」
「わかっているよ」
「物分かりは悪い方だろう、行かせないからね」
「――……随分と過保護だね」
「僕は君を止める義務があるよ」
「そんなものは、お前が気にするべきことじゃないよ。私は私のしたいようにしてきただけだ」

その人は、優しく笑った。その瞳を、昔見たことがある。その瞳は凛々しく、気高くあろうとする瞳だ。

「私はもう二度とあの人を失うわけにはいかない。私が愛したあの人は修正した歴史にはいない。だから――」


――歴史修正はさせない。


 掴んでいた手の上に片側の手を優しく乗せられ、どきりとした。心臓を鷲掴みされたような感覚がして、咄嗟にその手を振り払ってしまった。
 彼女の本音を聞いたのは初めてで、初めて彼女の本質に触れられたような気がした。一言でさえ本音を包み隠していた彼女が、他でもない僕に、不審感すら抱いていた僕に言うなんて思いもよらなかった。真っ直ぐに投げられた言葉が、彼女が溢した本音が、やっと聞くことが出来た本音が、ただ胸を熱くさせる。

「大和守?」
「……僕は――君が歴史修正主義者になってしまうのかと思った」
「そうか」
「――沖田くんのこと、愛してたんだね」

 知らなかった想いが、僕の中へと染み込んでいく。それが酷く染みる。けれども、これは嫌な痛みではない。
 優しくて愛ししくて、ヒリヒリとする。
 彼女がこんなに穏やかに笑うなんて知らなかった、目を細めて幸せそうに笑うなんて知らなかった。僕の頬を撫でて慈しむなんて知らなかった。

「そうだよ、私は総司を愛していたんだ」

 ああ懐かしい。
 この笑い方は沖田くんに少しだけ似ているんだ。滲み出るような歓喜に震える彼女は本当に、本当に沖田くんの事を愛していたようだ。

「――僕が守る」
「?」
「沖田くんは――君も愛した沖田くんは僕が守る」
「大和守?」
「僕も、沖田くんの事、大好きなんだ」

 したり顔で笑ってやれば、主は暫く呆気に取られていたが、少し困ったように笑いながら敵わないねと僕を抱き締めた。
 小さくて頼りない彼女の身体から少し懐かしい匂いがして、少しだけ泣きそうになってしまって誤魔化すように僕は彼女を抱き締める。
 狸寝入りをしていた陸奥守がにやついているのは少し気に食わないが、今だけは気づかない振りをしてやろう。


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15.08.10 初出 『最愛の空白』
16.01.14 再筆
18.12.16 加筆修正