* 変換なし。
親鳥の後を追う雛鳥、そんな印象だった。
弟が公園で仲良くなったという少女は弟と同い年。性格は温和で人懐っこい性格であった。弟が紹介してくれた時に、大きな目をキラキラと輝かせて、景光くんのお兄ちゃんと羨望の眼差しで見つめられた時は満更でもなかった。程なくして懐いた彼女は「高明くん、高明くん」とついて回る姿も鳥類の刷り込み現象のようだった。自分を慕ってついてくる彼女が本当の妹のようで、自分の妹のように可愛がっていた。小学生、中学生、高校生、と成長してからも変わらず高明くんと朗らかな笑みを浮かべて接する彼女に癒されていた。
彼女が医療機関に勤めることになったと聞いたのは随分前だった。彼女は大和敢助や上原由衣とも顔見知りの間柄であり、諸伏らが警察官になると決めたことで、彼女もその決意を固くしたようであった。
――高明くんと景光くん、敢助くん、由衣ちゃんが警察官になるなら、私が皆を怪我や病気から護る
そうして宣言していた言葉通りになった。看護師となった彼女は日々命と向き合い、多くの人々の助けとなっているようだ。暫く会えていなかったが、まさか己が彼女の勤務するに運ばれると思わなかった。氷で覆われた滝つぼから九死に一生を得て、目を覚ましてみれば、泣き出しそうな表情を浮かべた彼女を見つけた。はっとした彼女はすぐに諸伏さんと問診を開始する。先程まで泣き出しそうな表情をしていたのは見間違いだったのかと思わせるぐらい成長した彼女は凛々しく、テキパキと処置をしていた。
「絶対に安静ですからね。ゆっくり休んでくださいね」
「ええ、ありがとうございます」
そう言って部屋を出ていった彼女を見送って帰ってこないのを確認すると急ぎ病院を抜け出し、天文台での一件を終え病院へと戻れば、彼女が仁王立ちしながらニッコリと出迎えたのである――
「高明くん、私は絶対安静にしてろって言ったよね!?」
「そうでしたっけ?」
「とぼけないでよ。心配したんだよ!」
「すみません」
彼女はぐいっと顔を覗き込むように近づけてきた。神妙な顔つきのその眼下にはうっすらと青いクマが浮かんでいる。
「病け出して具合悪くなったりしてない?」
「問題ないですよ。ただ君の仕事ぶりに感心していました」
「はぁ……今度抜け出したらはっ倒すからね」
「ははは、もうしませんよ」
「前科一犯ですよ、諸伏警部」
「おや、手厳しい」
じとりとした視線を寄越した彼女を見る。昔、自分の後ろを追いかけていた引っ込み思案は少女はいつの間にかに成長し、人の命を護るための美しく成長した。小さな握って先を歩いていた筈がいつしか隣を歩いていたのだと気付いてフフッと笑えば、胡乱な視線が飛んでくる。
「やはり滝つぼ落ちたのに無理して熱が……?!」
諸伏の額に当てた白い腕を掴み、背に片腕を回す。額同士を合わせると、微笑を浮かべた。
「……ほら。杞憂、でしょう?」
固まった彼女を見やり、掴んでいた方の腕も背に回す。肩口に埋もれた彼女の顔は見えなくなったが、小さい嗚咽が聞こえてきて、幼子をあやすように背中をトントンと叩く。泣き虫は変わらないなあ。
「…………高明くん、敢助くんと由衣ちゃん後で来てくれるそうですよ」
「そうですか」
「彼らもそうですが、高明くんももっと自分を大事にしてください。病院に運ばれてきた時、血の気が引きました」
「……ご心配お掛けして申し訳ない」
「私たちは患者さんを助けるためなら全力を尽くします。でも状況によっては見つけ出す前にお亡くなりになってしまったりして助け出せない時もあります」
グッと目元を乱暴に拭った彼女は、諸伏を見上げる。
「職務を遂行するその信念は素晴らしい。けれども命あっての物種だから――」
――もっとご自愛ください。
生半可な二の句はとても継げやしない。
今回は命拾いしたが、次はどうかはわからない。絶対はない。待つ身より待たるる身とはこんな気持ちのなるものなのか。気丈に振る舞おうとするから涙さえ拭うことは出来なかった。
あまつさえ彼女の言葉には満足に応えられない。口惜しさを覚えつつも、少し落ち着いたらしい彼女は諸伏の胸を押して立ち上がる。目元は赤くなってしまっているが、その奥の瞳は真っ直ぐに諸伏を見つめている。
――ほんとうに強くなった。
彼女が近所のガキ大将に揶揄われているのを見かけて助け出したのは今は昔。泣き虫だった雛鳥が成長して育った姿を見て感慨深くも、胸の奥に隙間風が吹き込んでいくような感覚がする。
「高明くんが生きてて良かった」
肩の荷が下りたと息をついた彼女のその目元は赤く痛々しい。優しく撫でてやると、冷たい手と頬ずりして笑った。その姿にそっと息を呑む。約束はできないが、せめて彼女の覚悟には応えなければならない。
「言うは易く行うは難し」
「?」
彼女は突然飛んできた言葉にピンときてない様子で、またことわざ? と首を捻っているのを見て、微笑む。彼女に対するこの気持ちは慈しみに他ならない。優しく撫でていた目元からなぞるようの指先を下降させ、頬のなだらかなふくらみを通り過ぎ、指先でふにっと唇をつつくと、慌てた声が転がって来たが、それも悪くない。
「職業上、今回の様な怪我を負ったり、帰れなかったりもあるでしょうから絶対に帰るとは約束はできません」
「うん」
「……ですが、目覚めた時、私を想うあなたの姿を見て、帰る場所はあなたの元がいいと思いました」
「え」
「これからも私が帰る場所にあなたがいて欲しい」
諸伏は彼女の手を取ってその甲に口づけを落とした。その小さな手は荒れていて、その手でこの病院の患者達と向き合い、この病院だけではなく、病や怪我と闘う者全ての者の味方でありたいと命を活かそうと粉骨砕身してきたのだろう。そう想うと愛おしく思う。顔を上げて、にこりと微笑めば、頬を紅潮させた彼女がはにかんだ。
「高明! どこだ!? 無事か!?」
「ちょっと敢ちゃん! ここ病院よ!」
どたどたと騒がしい声がこの部屋に近づいてくるのを聞いて、「来たな、敢助くんと由衣ちゃん……」と彼女が呟く。他の患者さんの迷惑だから注意してくるね、と出ていったその顔は先程までの可愛らしい表情ではなく、仕事に真摯に向き合おうとする凛々しい表情であった。「静かにしてください」と敢助くん達を注意した瞬間に他の看護師から「あなたも少し声が大きい」と注意されている声がこの部屋まで届いてきて、思わず笑ってしまった。
25.05.25 初出 『思う念力岩をも通す』