日々の袋小路に追い詰められる。オフィス街と自宅の往復を機械的に繰り返し、休日を迎えては布団に包まって一日を過ごす。繁忙期を乗り越え、心身ともに解放されてみれば、この代わり映えのしない日々をそのまま過ごすだけで良いのだろうかという疑問が浮上する。一度首を捻れば、現状維持というわけにも行かない。普段の日常から少しだけでも抜け出したくなるものだ。そうなると自分にとっての普段とは異なる非日常とは何か考える必要性が出てきた。
日常で習慣化していないこと――たとえば、食事。外食をすることであれば、普段食べるご飯よりも少しお金を出して食べに行くとか、普段は食べる習慣のない珍しい料理や外国料理を食べること。お弁当を作って近所の公園にピクニックに出かけるのも良いだろう。
習い事を始めるというのも良いかもしれない。ヨガや英会話、資格の勉強、自己投資は無駄にならないというし、長い目で見れば自己の人生の肥やしになり、豊かにするかもしれないならば、悪くない――。
「ほら、新幹線が来るよ」
ふと耳に入ってきた若い女性の声にハッとした我に返る。声のした方を振り返れば、新幹線のミニカーを持った小さな男の子を抱っこした若い母親の姿。男の子は電車が好きなのだろう。きゃっきゃと嬉しそうに笑ってふにゃふにゃした指を方向へ向ける。それにつられるようにして指差す方へ視線を向ければ、新幹線用のレールを颯爽と走っていく新幹線が目の前を通っていく。力強い風圧で髪が揺れ、ものの数十秒で通り過ぎていく。あっという間に遠ざかって小さくなっていく、新幹線を見送って、感じたのは確信。吹き抜けていく疾走感と高揚感。心が躍る体験はこれだ。
――そうだ、旅に出よう。
思い立ったが吉日。優柔不断が服着て歩くような女ではあるが、こうと決まれば行動は早い方である。スマホを駆使して情報収集し、行き先を検討する。幼馴染の友人から丁度のタイミングで連絡があり、新幹線に乗りたいから旅に出るという旨を伝えれば、それならば会いたいからぜひ会いに来て欲しいとのことで会うことになった。長野から引越してからの転勤族の子の私は携帯電話やスマホでのやりとりが主流で、長期休みにタイミングが会えば会う事が多い。彼女が地元の鉄道会社に就職してからは暫く会えていなかったので久々の再会に向けてより心が弾む。
券売機で週末限定のフリーきっぷと特急券を購入し、駅員に質問する外国人観光客を横目にきっぷを挿入し新幹線改札を通り抜ける。普段利用する在来線とはどこか違う雰囲気に、早くも非日常感を感じ始め、旅が始まる高揚感を感じる。気持ちが弾んで見るもの全てに目が行く。好奇心の塊になったようだ。
新幹線改札内には駅会社の系列店が経営するカフェとコンビニ、待合所が設置されている。在来線の店舗には売っていない地域のお土産が売っているところもまた小さな非日常感がする。東都ばななと言った有名なお土産も売っていて、幼馴染への軽い手土産にと買っていくことにした。
「ええと……何番線だろう?」
「何かお困りですか?」
電光掲示板を見てキョロキョロしていると、駅員の制服を着た男性に声を掛けられる。つり目がちの高身長の男性駅員だ。顔立ちが涼やかで若々しいが、口髭を蓄えている。年齢は三十代といったところだろうか。精悍な顔つきの駅員に思わず息を呑みむ。駅員の制服がよく似合っていてかっこいい。どことなく幼馴染の高明くんに似ているなと見惚れていたら、お客様と怪訝そうな表情で首を傾げる駅員にハッと我に返る。眉目秀麗な男の、その首を傾げる仕草がかわいいなんて思ったのは内緒だ。そもそも高明くんが首都圏にいる筈がない。以前高明くんから聞いた時に長野で就職したと言っていた筈だ。
「えっと、長野駅まで行きたいのですが、どちらのホームですか?」
「長野ですか。長野方面の列車でしたらあちらの二十一番ホームですね」
「二十一番ホームですね。ありがとうございます」
お礼を述べれば、にこりと微笑んだ駅員は私の手に持っていたフリーパスと特急券を見て、自由席に乗られるようでしたらは一号車から四号車に乗ってくださいねと教えてくれた。
「長野へは観光ですか?」
「ええ。それと幼馴染に会いに行くんです。久々に会うからドキドキするけど楽しみなんです」
「幼馴染。それは楽しみですね」
「ええ。由衣ちゃん達に会うの楽しみすぎて早く目が覚めてしまいました」
「……ゆい、さん?」
駅員の男性はぱちくりと瞬いた。
「由衣ちゃんは私の大事な幼馴染です」
「ふふふ。その様子だと今回の再会ですぐに旧交を温まりそうですね」
「きゅうこう?」
「ええ。……と、自由席に乗車されるようでしたらそろそろ時間ですね」
一頻り笑った駅員の男性は腕時計に視線を向ける。つられて自分の腕時計に視線を向ければ、そろそろ先発の列車が到着する頃合いであった。
「あ、引き留めてしまって申し訳ありませんでした」
「とんでもないです。お話しいただきありがとうございました。それではまた。良い旅を」
「はい、ありがとうございました」
恭しくお辞儀をした駅員の男性に会釈をすると、教えられたホームに向かう。新幹線ホームは新幹線の到着を待つ乗客たちで賑わい始めていた。リュックサックやキャリーバックなどのカバンを多く見掛けるようになる。その様子を眺めながら、カバンの数だけ今までの思い出が詰め込まれているのだろうなと思う。そして今日もこれからそのカバンに思い出が詰め込まれていくのだろう。新幹線はただ単に移動する手段ではない。乗客達当人や各々の目的地、その目的地で迎えようと待つ人達、それぞれの想いを乗せて走り、人々を繋いでいく。一つ一つが繋がっていく。私の想いも乗せて繋いでくれる。それはとても素敵な仕事だなとキャリーバックをガラガラと引いてホームを歩いていく。旅は一期一会。駅員の彼は「それではまた」と言ってくれたが、あの駅員さんにもいつかまた会えるのだろうか。
新幹線自由席の乗車待機列には既に人が並び始めていた。由衣ちゃんが「自由席は人気の席だから早めに並んだ方がいいわよ」と助言してくれていたのは有り難い。先程の駅員の男性もそれを見越して話に夢中になりそうなところを切り上げてくれたのだろう。まだ整列の少ない所に並び、電光掲示板見上げた。電光掲示板には私が乗る新幹線の名前と時刻が表示されていて、スマホのカメラで写真を撮る。幼馴染の由衣に、この電車に乗るよと添付してメッセージを送れば、すぐに既読表示がついた。
「ちゃんおはよう! 了解しました。ちゃんが到着するの楽しみに待ってるね」
メッセージと共に可愛らしいキャラクターのスタンプが会いに来て、思わず口が綻んでしまう。自分と会うのを楽しみにしてくれると言う彼女が親友として愛おしい。
「私も由衣ちゃんに早く会いたい!」
「嬉しい! 敢ちゃんもちゃんに会うの楽しみにしてるわよ!」
「ほんと!? やったー!」
「高明くんも来れるって言ってたけど……もしかしたら一緒の電車なんじゃない?」
「え? 高明くん、東都来てたの?」
高明くんも由衣ちゃんと敢助君の幼馴染。敢助くんと同い年で私と由衣ちゃんの六つ年上。物腰の柔らかく、理知的な男の子だった。転勤族の子の私は小学生の卒業までを長野で過ごしていたが、その後は転々と引っ越していたため、会うのは全くの久しぶりだ。特に高明くんや敢助くんとは年齢が六つ違うとなると、中々生活リズムが合わない。私と由衣ちゃんが小学校を卒業して中学校に進学する頃には、二人は高校を卒業して大学に進学する頃合いだ。高明君は東都の大学へ進学して行ってしまったし、高明君が東都にいる間の私は関西の高校に進学して生活していた。私が東都へと引っ越して住み始めた頃には、高明くんが大学を卒業して長野へ帰った後であった。まともに会ったのは何時だったかという記憶も怪しいぐらいだ。手紙や携帯で連絡を取り合うことは時折あったが、こうして会うのは何時ぶりだったか。私の記憶の中の高明君と敢助君はもう朧気だ。覚えているのはおままごとをしたいとせがんだ私に、嫌な顔をせずに付き合ってくれたことぐらいだ。……敢助君は少し嫌そうだったかもしれない。
――間もなく、二十一番線に電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください。
業務放送が流れ、スマホのメッセージ画面からはたと顔を上げる。由衣ちゃんとのメッセージのやり取りは楽しいが、乗り過ごしたら元も子もない。きょろきょろと見回せば、新幹線が速度を落としてゆっくりとホームへと入線してくる。待ち侘びた。徐々に速度を落とし停車すると、上京するためにやってきた人々が次々と降車していき、全員が降車したのを確認してすぐさま清掃員の人々が入って車内清掃を始める。その様子は窓からはっきりと見え、テキパキと掃除をしていく様子が見える。こういった様子も新幹線に乗車する機会がないと見れないから私にとっては非日常かもしれない。時間の合間を縫って一生懸命清掃スタッフには賞賛しかない。裏方仕事というのは中々クローズアップされないものであるが、こうして見ていると快適に過ごす為に誰かしらが裏からサポートしてくれているのを日々忘れてはいけないなと思い直す。掃除を済ませて車内から出てきた清掃スタッフの人と目が合い、感謝の意を込めて会釈をすると、驚いたような表情を浮かべたが、はにかみながらも心からの笑顔を見せて会釈をし返してくれた。
車内に入ると、すぐに窓側の一角に座ることができた。他の乗客たちも席を確保しつつ、荷物を頭上の収納スペースに積み込んでいる。在来線ではすぐ降りてしまうからこそ、中々使わないスペースだが、こういう所からも旅の匂いがする。列車に乗り込んで走り出す前のこの雑然とした雰囲気が好きだ。浮き足立った車内の雰囲気に高揚感を覚えつつ座って待っていれば、いよいよドアの締まる音がする。ゆっくりと動き出す新幹線。ここから旅が始まる。徐々に加速していく窓の外の景色に胸躍らせて、車内の雰囲気を味わう。都心の高層ビルの街並みを縫って走り始めた新幹線が、一時間も経てば次第に高層ビルの姿が少なくなって、視界が開けていく。遠くには山並みが美しく走って青空が広がっている。一気に視界が広がっていく様子にどこか心の広がるような心地もする。新幹線の中は存外静かで、出張で乗車したサラリーマンの男性はパソコンで作業をしていたり、登山バックを背負った中年の女性客は黙々と菓子パンを食べていたり、大学生ぐらいの青年はイヤホンをつけて動画配信サービスで映画鑑賞をしている。思い思いの時間の過ごし方からその人のライフスタイルが垣間見えておもしろい。退屈しないなと一人ほくそ笑んでいれば、何かが足元に転がって来る。
「?」
「お姉ちゃん、ぼくのミニカーそっち行っちゃった」
足元にコツンと何かが当たったと同時に向かいの席の男の子がパタパタとやってくる。白いスポーツカーのミニカーが足元に落ちていた。大方それを地面に走らせて遊んでいたのだろうか。ねじ巻き式のそれは何度か後方へ引いてから指を放すと自動で前に進むのだという。それを渡してやると男の子はにこりと笑ってお礼を述べた。
「お姉ちゃんありがとう」
「どういたしまして。ミニカーかっこいいね」
「うん。パパに買ってもらったぼくのおきにいりなんだ!」
にこにこと屈託のない笑みを浮かべた男の子は私の隣の空いている席にちょこんと座る。保護者らしき人物は見当たらない。
「お父さんかお母さんは?」
「パパ今トイレ行ってる。あれきっとうんこだよ!」
「うん……な、なるほど」
「つまんないからしんかんせんのたんけんしにきたんだ」
「お姉ちゃんひまだったらぼくのたんけんたいのたいいんにしてあげる」
「お、おお……?」
随分と人懐っこい子だが大丈夫だろうかと少し心配になる。このまま断って一人で歩き回らせるのも心配であるし、それとなく保護者を探しながらこの少年に付き合ってやるべきだろうか。リュックから化粧ポーチを取り出して簡易テーブルに置いておくと、立ち上がり敬礼をする。
「わかりました隊長。自分もお供させていただきます!」
「よし! お姉ちゃんたいいん、それではしゅっぱつします!」
「おー!」
私がついてくると理解するや否や少年はぱあっと雲の切れ間から光が差したように顔を輝かせた。がしっと手首を掴まれて、ぐいぐいと引っ張る。水を得た魚のようだ。ずんずんと突き進んでいく力強さに驚きつつ、そういえばこうして敢助くんや高明くんに手を引かれて遊び回っていたような思い出が蘇ってきて、思わず目を細める。
「隊長」
「なあに、お姉ちゃんたいいん?」
「パパ隊員をおトイレまで迎えに行ってあげるのはどうですか? 皆で探検したほうが楽しいですよ?」
「たんけんはきけんがいっぱいだ。たのしいことばかりじゃないぞ! きをつけないと!」
「そ、そうですね。ごめんなさい」
「だけどお姉ちゃんたいいんのいけんもわかるのでそれにしよ!」
「やったー! そうしましょう!」
それとなく少年を誘導して父親を探す探検という目的に切り替えさせることに成功しホッとする。迷子ならば車掌に相談するのが最善だ。車掌室に向かいながら父親を探す方が良いだろう。今頃トイレから帰ってきた父親は我が子が自分の座席にいないことに気づいて慌てて探し回っているかもしれない。ならば車掌の下へ相談しに向かっているかもしれない。
「隊長はどこの席に座っていたんですか?」
「うーん? あっちの方」
「あっちは……指定席の方かな。そうしたらパパ隊員はあっちのおトイレの方かもしれませんね。行ってみませんか?」
「うん。れっつごー!」
「はい。レッツゴー! あ、走ると寝てる人に怒られちゃうんで忍び足で行きましょう! 忍者の足です!」
「ニンジャ!」
「おー、隊長かっこいい〜!」
少年は私の言葉に反応して、忍者の手で印を組むポーズをしてご機嫌だ。少年が転ばぬように背後で見守りながら、指定席車両の方向へ向かって歩いていく。
「隊長は新幹線に乗ってどこ行く予定なんですか?」
「金沢のおじいちゃんち。おじいちゃんにさいごのばいばいするんだって」
「そっか……聞いてごめんね」
「? なんで?」
「……ううん。おじいちゃんと沢山お話してあげてくださいね」
「うん。おねえちゃんたいいんは?」
「私は、お友達に会いに行くの。引っ越してからあまり会えなくなっちゃったから」
「そしたらお姉ちゃんもいっぱいお話しなきゃね」
「……そうだね」
少年はひょうたん島のテーマを歌いながら進んでいく。その後をしみじみとついて行くと、車掌に向かう途中にトイレを見つける。トイレの前では焦ったような三十代ぐらいの男性と先程駅で案内してくれた男性駅員が話していた。
「あれ、先程の駅員さん?」
「おや……?」
「パパ!」
「翔! どこ行ってたんだ! 翔がいないからパパびっくりしたよ!」
やはり少年の父親だったらしいその男性は、ほっと安心した顔をして、少年に駆け寄って抱き締めた。チラッと駅員の彼に視線を送れば、彼もホッとした表情を浮かべ、帽子のつばをもち、軽く会釈をした。
「パパ、うんこしにいってなかなかかえってこないからお姉ちゃんに遊んでもらってた」
「う……それはごめんな。お姉さんも翔の相手してくださってありがとうございます」
翔の父親は赤面している。子どもの素直さは時に残酷である。
「気にしないでくださいね。翔くんが暇してた私を探検ごっこに誘ってくださったので楽しい時間を過ごせましたよ。ね、翔隊長?」
「うん、お姉ちゃんたいいんとパパたいいんをさがすたんけんしたよ。たのしかったよ」
「そうか、パパ隊員も翔隊長とお姉さんに見つけてもらえてよかったよ。車掌さんもお手数おかけして申し訳ありませんでした」
「いえ。ご子息が見つかって何よりです。お姉さん隊員さんもご協力ありがとうございました」
「お姉ちゃんありがとね」
「うん、またね」
翔の父親は私と駅員さんにお辞儀をすると、翔少年の手を引いて、自分たちの座席に戻っていく。残された二人は改めて向き直る。
「まさか駅員さんも乗ってたなんて思いませんでした」
「東都には仕事で来ていて、丁度長野に帰る途中でした」
「そうだったんですね。お疲れ様です」
「ありがとうございます。隊員さんもお疲れ様です」
クスリときれいな顔で笑われ、バツが悪い。逃げるように、席に戻りますと言えば、微笑みを絶やさずにそれではまたと駅員さんも持ち場に戻っていった。
席に戻ると、化粧ポーチの中身を確認し、リュックに仕舞う。お土産と一緒に駅で買っていたお茶の入ったペットボトルを開けて、残りの時間はゆったりとくつろぎながら窓の外の景色を見つめることにした。その地域に住む人たちの息づかいが窓の外を静かに流れていく。
「あれ? 高明君からメッセージ入ってる?」
目的地の長野まで三十分切ったところで連絡を入れようとすれば、メッセージアプリに連絡が来ていることに気づく。
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」
「……高明くんの故事成語、懐かしいね」
ふふふっと思い出す。小さい頃に高明くんが言った故事成語を魔法の呪文だと勘違いして、高明くんは魔法使いだと言って、彼を困らせていたのを思い出した。珍しく困った顔をしていて、敢助くんが愉快そうに笑っていたのも鮮明に憶えている。
「高明くんお久し振りです。今日は会えるのを楽しみにしています」
メッセージを返すと、車内チャイムが鳴る。まもなく長野駅到着するというアナウンスを聞いて、頭上の収納からキャリーバックを下ろし、駅に着いたらすぐに降りられるように荷物を整理する。まだ始まったばかりだというのに色々な事があったなと息をつく。予想外ごとが多かったが、全て新幹線が結んでくれたご縁なのだろう。袖売り合うのも他生の縁。小さな事だろうが、こういった経験も自分の中で何かしらの一部になっていくのだろう。そう思うとここまでに抱いた気持ちは悪い気はしない。
荷物を纏めて新幹線を降りる。長野駅。ホームから見える街並みは変わってしまっているところもあるようだけれども、どこか懐かしい。ほっとするのは大好きな人たちが私を待っていてくれるからなのだろう。
新幹線が発車するのを見えなくなるまで見送ってからホームを降りて改札口へと向かう。改札をでて、きょろきょろと見回すと、私に向かって手を振る由衣ちゃんと隣に佇む敢助くんの姿が見えた。会いたかった二人に感極まる反面、杖をついている敢助くんに姿にぎょっとする。事故に遭ったと聞いてたが大丈夫なのだろうか。
「ちゃん! こっち!」
「おー、か。大きくなったな」
「由衣ちゃん! 敢助君! 久し振り!」
足早に近寄って行けば、由衣ちゃんが両手を広げてそのまま抱き締めて、敢助くんが頭をポンポンと撫でてくれる。会いたい相手がいるって幸せなことだなァ。三人で一頻り再会を喜び合っていると、背後からポンと肩を叩かれた。振り向く前に肩口に誰かの顔が近づいて耳元で囁かれる。
「お客様、きっぷを拝見」
「っ!?」
ドキリとして飛び上がり、囁かれた耳を押さえてよろよろと由衣ちゃんの背後に隠れた。甘みを帯びた低温が鼓膜の奥で渦巻いている。何やっているんだと敢助くんの胡乱な視線を気にしている余裕はない。心臓はどくどくと早鐘を打ち、そっと様子を窺う。長野に来るまでに何度も会っていたあの駅員の男性が高明くんだったなんて全然気づかなかった。似ているような気はしたけど、随分と会っていなかったから他人の空似かもしれないと全然気づかなかった。高明くんはきっと最初から私のことに気づいていて、どこで気づくのかと反応を見てほくそ笑んでいたのだろう。彼は意外とそういうところがある。私のことを絶対に揶揄っている。
「先ほど落とされましたよ」
そういって私が落としたきっぷを差し出してきた彼は悪戯が成功したという笑みを浮かべていた。
25.06.09 初出 『great journey』