Loco
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Clap
No.41
短編
喫煙者の同期の女と松田陣平
「よォ、元気か」
「やあ松田くん。今日も元気にニコチン摂取しておるよ」
「俺が言うのも何だけどよ、ニコチンは元気に摂取するもんじゃねぇと思う」
一仕事終えた松田陣平は気分転換も兼ねて庁内の喫煙所に足を運んだ。見慣れてしまった喫煙所の薄暗さや古びた長椅子、申し訳程度に置かれた部屋の隅の萎びた観葉植物。その喫煙所に身を潜ませるように座っていた先客を見つけ声を掛ける。同期の女だ。交通課所属する彼女は同じ警察学校での顔見知り程度ですれ違えば声を掛ける程度の仲ではあったが、この喫煙所で鉢合わせるようになってからは時折こうして世間話をしたり、食事に出かけたりしている。真面目で堅物なタイプかとも思えばおおらか。飄々としたタイプであったが、同期に休憩が長いと怒られながら引きづられていくダメなところもあるが、それは休憩中だけの話であって、仕事はさすがにきっちりとこなしているらしい。無色透明のような女であるが、付かず離れずと適度な距離感を保つので気の置けない女友達と言ったところ、であろうか。
地べたに座ってぼんやりしていた同期の女は、恐らくここで眠っていたのだろう。まだ寝惚けた顔をしている。警察官という職業柄、男性警察官の方が多数派だ。女性警察官も増えつつあるが、就業比率としてもまだまだ男性が多い。男社会の風潮がまだ尾を引くこともあるため、誰でも出入り可能な空間で無防備に寝入る姿を晒すなど危機感がない。
「お前、俺が来るまで寝てただろ」
「ん……少し立て込んでてね。うっかり、うっかり」
「気をつけろよ。誰もが優しい訳じゃねぇぞ」
「ん」
じとりと睨めつけるがまだぼんやりしているこの女には暖簾に腕押しだ。やれやれ、これでは先が思いやられる。松田が大きな溜息をつきながらぐしゃぐしゃと髪を搔いているのを尻目に、女はシガレットケースから一本煙草を取り出すと、口に咥えた。今度はマッチケースからマッチを一本取り出し、手慣れた手つきで火を灯すと、火種を手で囲うようにして咥えた煙草の先に火を灯す。マッチの炎を振って消すと、ふうと煙を吐いた。
その流れるような一連の動作を見て、そういえば自分も喫煙しに来たのだったと松田は思い出す。胸ポケットからシガレットケースを取り出して更にそこから煙草を一本。口に咥えると、手持ちのライターで着火を試みる。ライターの着火ボタンを押すが、ぼっと一瞬音が鳴るだけで火がつかない。もう一度試してみるが、どうも火がつかない。オイル切れか。ついていない。予備などは生憎持っていない。松田は仕方なく女に手を差し出してマッチを乞う。
「なぁ、マッチくれ」
「んー、マッチ? ……ごめん、マッチはさっきので品切れだ」
「あ? まじかよ。……お前、ライターなんっつーもんは」
「無いね」
「ついてねぇ……」
ぐしぐしと苛立ちで再び髪をかき混ぜていると、ふうと息を吐いた女は、気怠げにゆらりと立ち上がる。松田の腕を掴むとくいくいと袖を引っ張った。何だなんだ。松田は怪訝に思いながら視線を女に向けた。松田を見上げるように立った女の目の下には血色の悪いクマが浮かんでいる。立て込んでいると言っていたのを思い出し、思わず憐憫を寄せる。
「松田くん」
「あ?」
「少し屈んでくれる?」
「? なんだ、よ……!?」
思わず煙草を落としそうになるのを慌てて咥え直す。女は、己の身長に合わせて屈んだ松田の煙草の先端に自分の煙草の先端を押し当てた。
――シガーキスだ。
これには松田も瞠目する。一層近づいた女の息遣いがやけに生々しく感ぜられて、凝視した。伏し目がちの瞼を彩るまつげ、煙草を咥えたルージュの赤。じりじりと焦がされているのは煙草だけではない。互いに接した部分が熱で焦がされていき、やがて細い煙が立ち始める。徐々に熱を帯び、火種は火が燃え移る。
伏せられた瞳が、松田を映し、視線が絡み合う。その瞳の灯火に触れたい。ふうと吐いた息が、松田に降りかかる。
「――火着いたね」
「……サンキュ」
「一回やってみたかったんだよね、これ」
悪戯っ子のようにうししっと歯を見せて笑う女。思わず息を呑み込んでその顔を凝視してしまったが、この女のペースだ。振り回されていると気づくと徐々に腹立たしさが湧いてくる。人の気も知らないでよくもまあ。己が咥えていた煙草を口から放した。女の煙草を引ったくるとそれを灰皿に押し付けた。あ、と女が非難の声を上げるのを無視して、煙を彼女の顔へとけしかける。
「げほっごほっ! ま、松田、くん!? 何!?」
「煙草じゃなくて本当はこっちがお望みなんだろう?」
「!?」
自分の煙草を灰皿に置いて、女の頬を掴む。親指の腹で柔らかい唇をつつけば、目を見開いて後退りしようとするので、にやりと笑う。
「煙草を相手に意図して吹きかける意味、それぐらいわかるだろう?」
「っ……」
頬を赤らめて狼狽える女の姿を見て、背筋がゾクリとする。随分と可愛い反応をするものだ。自分から線引きをしていたというのに。
「なぁ、逃げるなら今の内だぜ?」
――逃がしやしないけれど。
その言葉は心音で秘めて、唇をやわやわと指先で弄べば、女の瞳の奥が揺らめいた。
「……うそつき。逃がしちゃくれないくせに」
「待ってやってんだから俺にしては優しい方だぜ?」
「逃してはくれないのね」
「捕まえて欲しいくせに」
互いにじっと見つめ合い、破顔する。女は松田に抱き着き、松田もその背中に腕を回す。すっぽりと腕の中に収まった女の身体は熱を帯びて温かい。コツンと松田の胸に、女の頭が預けられる。その背中を撫でれば、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。甘えられていると思うと、可愛げがあるものだ。
「あーあ。捕まっちゃったなあ」
「おー。観念しろ、不良刑事」
「松田くん、萩原くんに一途だから諦めようと思ったのにな」
「あ? 萩とそんなんじゃねぇよ!」
「知ってるよ。君が親友の事で一生懸命なの。……だから私の気持ち、邪魔になるんじゃないかって思ってたの」
「……馬鹿野郎」
「たまに構ってくれればいいよ」
「だから馬鹿だって言ってんだよ」
「さすがにバカバカ言い過ぎ!」
ぐわっと顔を上げた女の両頬をぐいっと掴む。そのまま黙らせるように唇に噛み付いた。驚いた女はビクリと体を揺らしたが、そのまま目を瞑り、松田からの口付けを享受していた。ちゅとわざとらしく音を立てて離れると、女は照れくさそうに視線が外していく。灰皿に手を伸ばして、松田が吸っていた煙草を咥えると煙を吸い込んで、松田に吹きかけた。
「――さすがにもう行かないと」
「今夜は帰って来れるのか?」
「誘ったんだから帰るよ、また連絡する」
女はにっと笑って、咥えていた煙草を松田の口に咥えさせると、そのまま喫煙室を出ていった。
短くなってきた煙草を一吸いし、ふうと紫煙を燻らせる。メール画面を開き、宛名のない手紙へ女の事を書き連ねると、さてもう一仕事するかと灰皿に煙草を押し付ける。
喫煙所を出た瞬間に、女から来たメッセージに「降谷に怒られた」と想像に難くないメッセージが飛んで来てにやりと笑ったが、松田どこだと自分を呼ぶ怒号が聞こえてきて、慌てて走り出した。
25.06.22 初出 『キックバック』
2026.6.12
No.41
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「よォ、元気か」
「やあ松田くん。今日も元気にニコチン摂取しておるよ」
「俺が言うのも何だけどよ、ニコチンは元気に摂取するもんじゃねぇと思う」
一仕事終えた松田陣平は気分転換も兼ねて庁内の喫煙所に足を運んだ。見慣れてしまった喫煙所の薄暗さや古びた長椅子、申し訳程度に置かれた部屋の隅の萎びた観葉植物。その喫煙所に身を潜ませるように座っていた先客を見つけ声を掛ける。同期の女だ。交通課所属する彼女は同じ警察学校での顔見知り程度ですれ違えば声を掛ける程度の仲ではあったが、この喫煙所で鉢合わせるようになってからは時折こうして世間話をしたり、食事に出かけたりしている。真面目で堅物なタイプかとも思えばおおらか。飄々としたタイプであったが、同期に休憩が長いと怒られながら引きづられていくダメなところもあるが、それは休憩中だけの話であって、仕事はさすがにきっちりとこなしているらしい。無色透明のような女であるが、付かず離れずと適度な距離感を保つので気の置けない女友達と言ったところ、であろうか。
地べたに座ってぼんやりしていた同期の女は、恐らくここで眠っていたのだろう。まだ寝惚けた顔をしている。警察官という職業柄、男性警察官の方が多数派だ。女性警察官も増えつつあるが、就業比率としてもまだまだ男性が多い。男社会の風潮がまだ尾を引くこともあるため、誰でも出入り可能な空間で無防備に寝入る姿を晒すなど危機感がない。
「お前、俺が来るまで寝てただろ」
「ん……少し立て込んでてね。うっかり、うっかり」
「気をつけろよ。誰もが優しい訳じゃねぇぞ」
「ん」
じとりと睨めつけるがまだぼんやりしているこの女には暖簾に腕押しだ。やれやれ、これでは先が思いやられる。松田が大きな溜息をつきながらぐしゃぐしゃと髪を搔いているのを尻目に、女はシガレットケースから一本煙草を取り出すと、口に咥えた。今度はマッチケースからマッチを一本取り出し、手慣れた手つきで火を灯すと、火種を手で囲うようにして咥えた煙草の先に火を灯す。マッチの炎を振って消すと、ふうと煙を吐いた。
その流れるような一連の動作を見て、そういえば自分も喫煙しに来たのだったと松田は思い出す。胸ポケットからシガレットケースを取り出して更にそこから煙草を一本。口に咥えると、手持ちのライターで着火を試みる。ライターの着火ボタンを押すが、ぼっと一瞬音が鳴るだけで火がつかない。もう一度試してみるが、どうも火がつかない。オイル切れか。ついていない。予備などは生憎持っていない。松田は仕方なく女に手を差し出してマッチを乞う。
「なぁ、マッチくれ」
「んー、マッチ? ……ごめん、マッチはさっきので品切れだ」
「あ? まじかよ。……お前、ライターなんっつーもんは」
「無いね」
「ついてねぇ……」
ぐしぐしと苛立ちで再び髪をかき混ぜていると、ふうと息を吐いた女は、気怠げにゆらりと立ち上がる。松田の腕を掴むとくいくいと袖を引っ張った。何だなんだ。松田は怪訝に思いながら視線を女に向けた。松田を見上げるように立った女の目の下には血色の悪いクマが浮かんでいる。立て込んでいると言っていたのを思い出し、思わず憐憫を寄せる。
「松田くん」
「あ?」
「少し屈んでくれる?」
「? なんだ、よ……!?」
思わず煙草を落としそうになるのを慌てて咥え直す。女は、己の身長に合わせて屈んだ松田の煙草の先端に自分の煙草の先端を押し当てた。
――シガーキスだ。
これには松田も瞠目する。一層近づいた女の息遣いがやけに生々しく感ぜられて、凝視した。伏し目がちの瞼を彩るまつげ、煙草を咥えたルージュの赤。じりじりと焦がされているのは煙草だけではない。互いに接した部分が熱で焦がされていき、やがて細い煙が立ち始める。徐々に熱を帯び、火種は火が燃え移る。
伏せられた瞳が、松田を映し、視線が絡み合う。その瞳の灯火に触れたい。ふうと吐いた息が、松田に降りかかる。
「――火着いたね」
「……サンキュ」
「一回やってみたかったんだよね、これ」
悪戯っ子のようにうししっと歯を見せて笑う女。思わず息を呑み込んでその顔を凝視してしまったが、この女のペースだ。振り回されていると気づくと徐々に腹立たしさが湧いてくる。人の気も知らないでよくもまあ。己が咥えていた煙草を口から放した。女の煙草を引ったくるとそれを灰皿に押し付けた。あ、と女が非難の声を上げるのを無視して、煙を彼女の顔へとけしかける。
「げほっごほっ! ま、松田、くん!? 何!?」
「煙草じゃなくて本当はこっちがお望みなんだろう?」
「!?」
自分の煙草を灰皿に置いて、女の頬を掴む。親指の腹で柔らかい唇をつつけば、目を見開いて後退りしようとするので、にやりと笑う。
「煙草を相手に意図して吹きかける意味、それぐらいわかるだろう?」
「っ……」
頬を赤らめて狼狽える女の姿を見て、背筋がゾクリとする。随分と可愛い反応をするものだ。自分から線引きをしていたというのに。
「なぁ、逃げるなら今の内だぜ?」
――逃がしやしないけれど。
その言葉は心音で秘めて、唇をやわやわと指先で弄べば、女の瞳の奥が揺らめいた。
「……うそつき。逃がしちゃくれないくせに」
「待ってやってんだから俺にしては優しい方だぜ?」
「逃してはくれないのね」
「捕まえて欲しいくせに」
互いにじっと見つめ合い、破顔する。女は松田に抱き着き、松田もその背中に腕を回す。すっぽりと腕の中に収まった女の身体は熱を帯びて温かい。コツンと松田の胸に、女の頭が預けられる。その背中を撫でれば、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。甘えられていると思うと、可愛げがあるものだ。
「あーあ。捕まっちゃったなあ」
「おー。観念しろ、不良刑事」
「松田くん、萩原くんに一途だから諦めようと思ったのにな」
「あ? 萩とそんなんじゃねぇよ!」
「知ってるよ。君が親友の事で一生懸命なの。……だから私の気持ち、邪魔になるんじゃないかって思ってたの」
「……馬鹿野郎」
「たまに構ってくれればいいよ」
「だから馬鹿だって言ってんだよ」
「さすがにバカバカ言い過ぎ!」
ぐわっと顔を上げた女の両頬をぐいっと掴む。そのまま黙らせるように唇に噛み付いた。驚いた女はビクリと体を揺らしたが、そのまま目を瞑り、松田からの口付けを享受していた。ちゅとわざとらしく音を立てて離れると、女は照れくさそうに視線が外していく。灰皿に手を伸ばして、松田が吸っていた煙草を咥えると煙を吸い込んで、松田に吹きかけた。
「――さすがにもう行かないと」
「今夜は帰って来れるのか?」
「誘ったんだから帰るよ、また連絡する」
女はにっと笑って、咥えていた煙草を松田の口に咥えさせると、そのまま喫煙室を出ていった。
短くなってきた煙草を一吸いし、ふうと紫煙を燻らせる。メール画面を開き、宛名のない手紙へ女の事を書き連ねると、さてもう一仕事するかと灰皿に煙草を押し付ける。
喫煙所を出た瞬間に、女から来たメッセージに「降谷に怒られた」と想像に難くないメッセージが飛んで来てにやりと笑ったが、松田どこだと自分を呼ぶ怒号が聞こえてきて、慌てて走り出した。
25.06.22 初出 『キックバック』