No.44

短編

安室透(降谷零)とハロウィーン

 八月の夏休み終了直後から売り始めたハロウィン関連グッズにピンとこなかったが、気がつけば過酷な残暑も形を潜め、少しずつ冬に近づく十月の終わり。秋の深まり。ハロウィンの季節である。イベント事はかきいれ時だ。繁忙期である。こぞってイベントを盛り上げて客たちに楽しんでもらおうと力を入れる。
 喫茶ポアロでも例に違わずハロウィンフェアが開催されていた。主にかぼちゃを使った食品が期間限定で提供されることになっている。かぼちゃを使ったニョッキ、かぼちゃプリン、かぼちゃのキッシュ、パンプキンラテ、エトセトラエトセトラ……。
中でもかぼちゃのニョッキは提供開始から好評でそれを求めにやってくるお客さんも多いらしい。
 店内はかぼちゃのカラーオレンジを基調とした装飾が施され、老若男女幅広い世代で楽しめるようにポップで可愛らしい飾り付けが多い。店員達も簡易な仮装として魔女のとんがり帽子を被っている。漂う食事の匂いとコーヒーの匂い。――ほっとする匂い。
「トリックオアトリート!」
「はい。かぼちゃプリンサービスさせていただきますね」
「えー、私は安室さんにいたずらしたかった!」
「ははは。イタズラはこのプリンで勘弁してくださいね」
 女子高生の客がハロウィンお馴染みの合言葉を唱えた。その相手はポアロの名物店員となった安室透だ。安室がポアロで勤務するようになってから、女性客が増えた。眉目秀麗の男を目当てに来店したが、料理も旨いとくれば評判が評判を呼ぶ。今日も店内は大盛況。昔ながらのシックな喫茶店は新たな形を見出しながら賑わいを見せている。
「遅くなってすみません、ただいま戻りました!」
 勢いよく店の扉が開き、ポアロのもう一人の店員・榎本梓が買い出し荷物を抱えて入ってくる。それ続いてパンツスーツを来た女が同じく荷物を抱えて入ってくる。安室はその透き通る瞳をわずかに瞠目させたが、すぐににこりと笑みを結ぶ。
「梓さんありがとうございます。もしかして{name2}さんに手伝っていただいたのですか?」
「そうなんです。{name2}さんと途中で会って荷物運ぶの手伝ってもらったんです。{name2}さんありがとう」
「沢山抱えて重そうだったから心配だったし気にしないで」
「梓さんも{name2}さんもお疲れさまです。ありがとうございました。{name2}さん、今飲み物用意しますから飲んでいってください」
「申し出はありがたいのですが、仕事に戻る途中だったのでお気になさらず」
「すぐに用意できますからこちらの席にどうぞ」
「{name2}さん、飲み物だけでも飲んでいてください!」
「え、っと……そういうことなら少しだけ」
 二人から説得をされ、{name2}は困惑した表情を浮かべていたが、観念したように苦笑してカウンターの端の席に座る。{name2}はキョロキョロと店内を見回していると、荷物を仕舞い終えた榎本が{name2}に近づいて話しかける。
「{name2}さんのおかげで本当に助かっちゃった。ありがとう」
「うん。お役に立てたなら何より……ポアロはハロウィンイベント中なんだね」
「そうなんですよ。今なら「トリックオアトリート」って合言葉でかぼちゃプリンをプレゼントしてます!」
「trick or treat?」
「――おや? すみません。今、かぼちゃプリン切らしてしまいました。イタズラ……お手柔らかにお願いしますね?」
 タイミングよくマグカップを持って登場した安室に、{name2}はギョッとする。彼女としてはただ単に榎本の言った言葉を復唱しただけにすぎない。かぼちゃプリンをもらう意図は特になかった。慌てて首を振る。
「あ、いいんです、いいんです。今のはなし。気にしないでください」
「そうですか。代わりと言っては何ですが、こちらをどうぞ」
「?」
 透明なカップにたっぷりと注がれたパンプキンラテ。底の方にはかぼちゃの橙色、上部にはホイップクリームがふわふわと浮かび、シナモンなどのスパイスが振り掛けられている。見た目もとても美味しそうだ。
「安室さん特製のパンプキンラテですよ、美味しいですよ」
 絶品です、と満面の笑みで両頬を押さえる榎本。彼女のお墨付きならば相当美味しいのだろう。ありがとうございます、と{name2}が受け取ると安室と{name2}の視線がパチリとかち合う。
「好きでしたよね、甘いの」
 にっこりと満面の笑みを浮かべた安室に、目を丸くする{name2}。隣に立っていた榎本は何かしら勘違いしたのか、わあっと口元を両手で押さえた。きらきらと目を輝かせて{name2}を見つめる視線を、{name2}は黙殺する。騒然とする店内さえも黙殺し、受け取ったカップを一口。腔内に広がるのはかぼちゃのホックリとした甘さとミルクのたっぷり入ったエスプレッソとスパイス。それらが絶妙に混ざり合い、ほおっと息をつく。{name2}は指先で唇を拭うと、安室へと再び視線を向けた。静かに息を呑む気配を感じてにっこりと笑い返した。
「好きですよ、甘いの」
 あなたも大概甘いもの。

 * * *

「trick or treat」
「何……だっ、て?」
 {name2}が帰宅してみれば、不意打ちも甚だしい。『人を駄目にする…… 』でお馴染みのクッションに乗っかって寛いでいる降谷零の姿を見つけ、目を丸くする。{name2}の姿を見るなり無言で両手を広げた降谷を見て、{name2}は肩を竦める。勝手に上がり込んで何をしているのやら。そのままその場立ち尽くしていると、「{name2}」と懇願するような声で呼ばれた。それでいて割れ物に触れるような優しい声に、一瞬、息が詰まったが、誤魔化すようにふうと息を吐く。鞄をテーブルの上にを置いて、近づいていく。
「おかえり」
「……ただいま」
「お勤めご苦労さま」
「うん、零君もお疲れさま」
 目の前まで近づくと腕をぐいと引っ張られて、そのまま降谷の上に雪崩込む。
「れいくん。いきなり引っ張ったら危ないよ」
「ん、ごめん」
 生返事をする降谷の様子を見て訝しんだが、プンと香った酒の匂いにハッとする。確信する。この男は{name2}が戸棚に仕舞っていたバーボンを飲んだようだ。酔っ払うと言ったことがなかったが、今日はどこかほろ酔いで機嫌が良いようだ。{name2}の髪ゴムをするりと抜き取ると、くしゃくしゃと撫で、そのままするりと頬へと手を滑らせて撫でる。
「{name2}」
 起き上がろうとする{name2}を阻止するように、彼女の背中に降谷の腕が回る。
「trick or treat」
「? 珍しいね。お菓子なら台所の棚の上の……」
「食べたよ」
「え」
「お酒の当てに食べたよ、他にある?」
「……ない」
「そう……なら」
 ――イタズラ、しようか
 降谷は{name2}の耳元で囁いた。背筋をゾクリと震わせた{name2}は思わず身を捩ったが、耳たぶをかぷりと甘噛みされる。
「ひっ!? れ、零君!?」
「ふふふ。びっくりした?」
「そりゃびっくりするよ!」
「{name2}もイタズラ、していいよ」
「? 何? いきなり」
「昼間言っただろう」
「ああ……ポアロの時」
「君になら、イタズラされてもいいよ」
「そんな事言われても……」
「{name2}は僕にどんなイタズラするのかな?」
 何言ってんだこいつ、と言った風に{name2}が視線を向ければ、降谷はふにゃりと気の抜けた炭酸のような表情を浮かべるばかりだ。頬を寄せてすりっと頬ずりして、ぎゅうと抱き込まれてしまえば、ああ、何も言えない。ただ、頬ずりした瞬間に擦れた頬にあたった髭がこそばゆい。少しヒゲが伸び始めているから暫く多忙だったのだろうか、などと思ったりする。
「……君は温かいな」
「そうかな?」
「このぐらい温かいといい」
「んー」
「一人はさむい」
 酔ったふりをしないと甘えられないこの男に憐憫を寄せるように背中を擦る。トントントン、と赤子をあやすように叩き始めれば、顔の割に武骨な身体がの身体{name2}に巻き付いて離れない。後頭部を撫でると、ひしと更に抱き締める力が強くなる。甘えてくる飼い犬をあやしているような気分になってなんだか笑えてしまう。
「零君」
「……ぬくい」
「離して。私、お腹減ったよ」
「僕はお腹いっぱい」
「狡いよ、私のお菓子とウィスキー食べて幸せ一杯お腹いっぱいだなんて」
「うーん……ごめん」
「お風呂は?」
「まだ……」
「一緒に入る?」
「入……え!?」
「嘘だよ。イタズラの仕返し」
 驚いて飛び起きた降谷のおでこをツンと小突いて{name2}は笑う。さて、残り物で夕飯でも済まそうか。{name2}は解放されて立ち上がると一瞥をする。
 呆然とした表情でぱちぱちと瞬きをしていた降谷は小突かれた額を暫く撫でいたが、はあ、と大きく溜息を吐くと、のろのろと立ち上がる。
「――ごめん、{name2}。作ってあるよ、ご飯」
「そうなの?」
「うん。準備するから着替えて待ってて」
「はぁい」
 {name2}はテーブルに置いていたカバンを回収し、寝室に入って着替えを済ませると手洗いを済ませるとリビングの食卓に座す。卓上にはご飯と味噌汁。目玉焼き付きのデミグラスハンバーグとコーンとツナのサラダ、と。
「あ、かぼちゃプリン!」
「お昼に渡せなかったからね」
 向かいの椅子に座した降谷がお茶を注ぎ、{name2}に渡し、自分の分を注ぐとクイッとコップを呷る。
「そっか、わざわざありがとう。そしたらイタズラするのはやめとくね」
「え、考えてたの?」
「ふふふ、いただきます」
「え、{name2}? 気になるんだか?」
「内緒」
 降谷のハッと息を飲む音を尻目に、{name2}はマイペースに食事を始める。彼の料理はいつも美味しいと思わず頬が綻んでしまう。

 ――あなたの苗字を貰う。
なんて、イタズラで驚かせてやろうと思ったが、やっぱりイタズラでも言えないな、なんて、思いながら。

25.09.17 初出 『秋色のひとしずく』

No.44

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