『紅一点』

「塗ってみてもいい?」
 マニキュアを買ったと言う凛が嬉々として言う。新しい玩具を手に入れたと言うような表情に、どうも気が緩んでしまう。
「いや、なんで俺の?」
「自分で自分の手を塗るの難しいからまずはあなたの手で」
「はぁ? なんだそれ」
「お願い!」
「はぁ……仕方ねぇな」
やったと歓声を上げた凛にやれやれと思いつつも、つい構ってやってしまう。
「それじゃあ手出して」
 口元を綻ばせた凛に手を差し出すと、俺の手をまじまじと見て、「相変わらず大きい手だね」と暢気な口調で呟いた。紅色のマニキュアの蓋を開栓すると、筆先にたっぷりと液体が乗っかっていて、それを縁で扱くと指をそっと掴まれる。ぺたり、と筆先が爪先に触れた瞬間、鮮やかな紅花が灯る。
その先に真剣な表情で己の爪先を彩る凛の顔が見えてしげしげと眺める。まつ毛に落ちる影。頬に掛かる黒髪。唇に引かれた艶やかな紅色。視線がうるさいと抗議されるようにちらりと向けられて、仕方なく己の爪先に視線を送る。初めて使うというにはまずまずと言ったところだろうか。
「ほおー。臭いがしねぇのもあるんだな」
「そうだね。今のは割とすぐ乾いたりするのもあるから使いやすくなったね……あっ」
「下手くそ」
「うるさいな、難しいよ」
 そんなに言うなら塗ってみてよ。むむむと不服そうな表情を浮かべた凛に苦笑する。本当に色んな表情を浮かべるようになった。
「……どれ、塗ってやろうか」
 速乾性のあるものだったらしい。マニキュアを受け取って凛の手を取った。「相変わらず小せぇ手だな」と零せば、暫くキョトンとした凛の表情は苦笑に変わる。少しゴツゴツとした手を掴み、指先に同じ色を灯す。おおと感嘆を上げる凛の声を聞きながら思わず笑いが込み上げる。丁寧に爪先を塗っていくと、じっとこちらを見つめる視線を感じて顔上げる。どうかしたかと問いかけてやれば、何でもないよとやけに機嫌良さそうに見つめる凛に首を捻りながらもう片方の手を塗り始める。
凛は塗り終わった手をかざし、
「塗るの上手くて腹立つ」
と呟いたので、ふっと笑いながらもう一度言い放つ。
「下手くそ」

23.07.19 『紅一点』 初出