『縁は異なもの味なもの』 / よその子コラボ

「今日は猪鍋にしましょう」
「は?」
 引き留める間もなく、籠と斧、小銃を持って凛が小屋を飛び出していったのが一刻ほど前だったか。あの韋駄天め。あっという間に山間に入っていってしまった。それは彼女が日本中を駆け回っていたからこその身軽さであるが、こうも身軽だと考えものだ。火の番をしていた比古にとって彼女の行動は寝耳に水のようなものであったし、竈門から離れるわけにもいかなかったため、彼女をすぐに追いかけられなかった。出来上がった焼き物を取り出して火の始末をしっかり済ませると早速探しに行く準備をする。血腥い幕末の京都で刀片手に生き延びたような女であるから軟弱ではないとは理解しているし、ついこの間までかつての同志の男の使いっ走りのようなことをしていて、危険な任務の渦中にいたぐらいだから杞憂かも知れぬ。そうではあるが、無茶していないか一番心配だ。前科がある。先の戦に駆り出されて帰ってきた時は随分と重症で帰ってきた。身体中を包帯で覆った姿で布団に横たわった姿を見た時は幾ばくか肝が冷えた。ジクジクと痛々しい傷は膿んで腐臭がしていたし、その傷から熱が出て、意識がぼんやりしていた。重症。一歩間違えれば凛は死んでいただろう。俺の目の届かない所で、あれは、野垂れ死ぬところだった。
「──本当に、手のかかる女だ」 
 大きく息を吐き切ると刀を携え外套を羽織るとすっと立ち上がる。脳裏に過ぎるは目を輝かせて比古の作品を作る手を素敵な手だと褒めたあのきれいな顔。あの賞賛を述べた時の心の底からの言葉は心地が良かった。自分には芸術の、何かを生み出すことへの才能はないと諦めていた凛が比古に手取り足取り教えて作った茶碗にとても感動していた姿。あの顔は今後忘れることができぬだろう。
 小屋の入り口に掛かる葦簀を軽く払いのけて外へ出る。
「に、新津覚之進先生!」
「何だお前か」
 一歩外へ出れば丁度山を登ってたどり着いた巨躯の男と癖毛の洋装の女。女は体全体の輪郭がわからないように白いシャツを着込んでいるため、素人目には優男に見えなくもない。この女は凛と違って芸術を嗜むらしく、陶芸家新津覚之進の作品の愛好家であるそうだ。先日訪ねに来てから時折こうやって比古の小屋を訪ねに来ている。弟子曰く、人嫌いな比古にとっては煩わしい人付き合いの予感に眉を顰めたものであったが、渋々と教えてみたらな中々に筋がよい。こうと教えればすぐに軌道修正し、新たなものを生み出していく。素質はあるのだろう。手土産で持ってきた酒あても悪くない。
「あ、あの、新津先生。今度は安慈様のお茶碗割ってしまいまして……その」
「はぁ……またか。安慈とやら、お前も大変だな」
「いや……」
 安慈様ごめんなさいと泣きそうになる女を見て、後ろに控える巨躯の男に視線を移す。安慈と呼ばれる坊主。この坊主はあくまで女の付き添いとしてきているだけであってこちらは焼き物をつくるなどにはあまり関心はないようである。女に向ける眼差しはその相貌から想像し得ない穏やかな慈しみを感じる。側からみればどういった経緯があって連れ合いになったのか首を傾げるような奇妙な二人ではあるが、人のことは何も言うまい。茶碗を割ったことについて謝罪をしつづける女を宥めすかす坊主。やはり不思議この上ないが、この二人にはこの二人なりの特別な絆で結ばれた関係があるのだろう。他人のことは言えまい。
「……ったく。後で教えてやるから、大人しくここで待ってな。俺は凛を探しに行く」
「え? 凛ちゃん、どこか行っちゃったんですか?」
「ああ、あいつは」
「あれ? センセ、おでかけ?」
「凛ちゃ、ん!?」
「やあ、いらっしゃい」
 暢気な調子で血濡れた猪を引き摺りながらやってきた凛に、女はギョッとして固まってしまった。持っていた斧には猪のものらしき血が滴っており、血生臭い。常人ならば当然の反応だ。凛が戦いから遠ざかってから出会った間柄であるから穏やかに過ごす凛しか見たことがなかったのだろう。こういった側面は初めて見るものにとって刺激が強すぎる。
「お前を探しに行こうと思ったんだよ。ってか血まみれじゃねぇか」
「返り血さ。いやー、中々にしぶとくてね」
「あわわ、わ! り、凛ちゃん怪我してない!? 大丈夫?!」
「え、ええ……大丈夫ありがとう?」
「(心配され慣れてないから照れてるな、こいつ)」  
 我に返り、一目散に駆け寄ってきた女に、凛はしどろもどろになりながら頷いた。女は凛に怪我ないかと身体中をくまなく見て回り、全てが返り血であるとわかると、良かったと、息をふっと吐き出した。凛はどこか居心地が悪そうな表情をしていたが、彼女にとっては良い薬だ。心配してくれる存在がいるという自覚がないからすぐに無茶をする。もうすでに自分だけの命ではないと言う自覚が薄いものだから平気で無茶をする。女が持っていた手拭いで凛の顔の返り血を拭こうとするが、凛は汚れるから大丈夫と一進一退の攻防戦が始まっている。やれやれ。
「お互い苦労するな」
「そうでもない。覚之進殿もそうなのでは?」
「……ふん」
  じっと彼女らの行く末を見守る安慈。その眼差しは何処か慈しむような。その眼差しは勿論あの女に向けられている。微かに綻ぶ口元に、へえと感心する。彼女らのやりとりに視線を移せば、凛の顔拭いながら本当に怪我していないよねと怖々と尋ねているが、凛は暢気なもので死ぬこと以外はかすり傷だったりするしなあと呟いて怒られている。
 難儀なものだな、お互いに。
「おい凛! 鍋にするんだろ? 早くしねぇと日が暮れちまうぜ」
「そ、そうだ、猪鍋! お二人もぜひ食べて行ってください!」
「あ、あの、凛ちゃん、安慈様は……」
「すまない凛殿と覚之進殿。お気持ちは嬉しいのが、私は獣肉は……」
「あ」
 どすり。凛が引き摺っていた猪が手から滑り落ち地に落ちる。途方に暮れた瞳がこちらへと向けられ、そういえばそうだったと失念していた自分自身も肩を竦め溜息を吐いた。

23.06.22 『縁は異なもの味なもの』 初出