DC夢 / 松田妹主と降谷がポアロであったその後(*以前書いてた夢主設定を見直して書いてるため、以前の夢主設定と異なります)==================================== 一日の業務を終え、一人暮らしをする1DKの集合住宅に帰宅する。自宅のドアの前で家の鍵を開けようとすると、はたっと違和感を感じて留まる。 ――誰かいる? ぎょっとしたが、緊急事態の時も冷静であれ。大きく息を吸って、ふうぅっと長く息を吐き切ると、室内の状況を確認するために、室外のメーターボックスを静かに確認する。じっと見つめていれば、案の定、メーターが動いている。やはり誰かが室内に侵入しているようだ。身内や友人が訪ねてくるという予定もないため、考えられるのは線はやはり空き巣であろう。単独犯か、複数犯か。自衛の為にと教えてもらったボクシングの心得はあるが、制圧できるほどの腕前でもない。安全には代えられないから、敢えて呼び鈴を鳴らして出ていってもらうか。どうせ盗まれるような金目のものもない……もしも下着泥棒であったりしたら、それはそれで困る。ここは管理会社に連絡して一緒に立ち会ってもらうか。警察は、なぁ……。 スマートフォンを取り出し、アドレス帳に登録してある管理会社の連絡先ページを探す。「どうか、されましたか?」 不意に後方から声を掛けられて、ビクリと肩を揺らす。振り返れば、丁度階段を上がってすぐの所に四角い縁の眼鏡をかけた実直そうな男が立っていた。抹茶色のスーツをピシッと着こなした男で、きっと周囲からも期待されているデキるサラリーマンといった感じなのだろうか。あ、と目を見開いた男の反応に、どこか出会っていただろうかと小首を傾げたが、すぐに真面目な顔つきになった。買い物帰りなのかコンビニの袋が手にぶら下がっている。怪訝そうな顔の男はスタスタと歩いてきて、忍の側までやってくる。おそらく初めて見る人だ。「あ、どうも……えっと、ご近所さん、ですか?」「ええ。同じ階の飛田と申します。丁度立ち尽くしたままのあなたの姿が見えたので」「ええっと……」 家の中に知らない誰かがいると言ったら今まで面識も何もなかったご近所さんでも助けてくれるだろうか。忍が当惑していると、飛田は忍を落ち着かせるように柔らかく口元を結ぶ。「何かお困りのようでしたのでお声がけさせていただきましたが、すみません、余計な御世話だったかもしれません」「いえ、ありがとうございます。その、ですね……どうも、家の中に、知らない誰かが入り込んでいるようでして……」「……知り合いがいらっしゃっている、とかではないんですか?」 忍が状況をしどろもどろに話し始めると、飛田が浮かべていた穏やかな表情から神妙な顔つきに変わる。深刻な表情を浮かべた飛田はちらりと忍の家のドア一瞥し、忍に持っていた荷物を預けるとそのまま彼女を一歩下がらせ、ドアの眼の前に立つ。そっとドアに耳をそばだて、ゆっくりノブを回す。音を立てずに、おそるおそるとドアノブを引き、飛田と忍は顔を見合わせる。 ――開いて、る。 二人の間に緊張感が走り、忍はゴクリと息を呑む。「(中の様子を覗いてみます。危ないのですぐに逃げられる所に避難しててください)」「(で、でも、と、飛田さんが……)」「(自分は大丈夫ですのであなたは自分自身の身の安全の確保をお願いします)」 互いにアイコンタクトをして、忍は言われるがままに後退り成り行きを見守ることにする。えらいことになってしまった。まさかご近所さんを巻き込むことになるとは思わなんだ。――だか、それで良いのか? 自分の問題をたまたま居合わせた他人に任せるだけ任せたままにしていてよいのか。そもそも悪いことをしていない自分が何故泣き寝入りしなければならないのか。悪いのは人様の家に勝手に侵入している不逞の輩の方だ。そう思ってきたら腹が立ってきた。荷物を廊下の隅に置き、そっとドアを開けて隙間から中の様子を窺う飛田に近づき、ずんずんと近づいていく。近づく気配にギョッとした飛田が制止しようと手を広げたが、ええいままよ、とドアを勢いよく開ける。このまま引き下がってたまるか。「ちょっ!? 危ないから下がって……!?」「なんで私が大人しくしなきゃいけないの!? 許さーん!」 パンプスを脱ぎ捨ててずんずんと部屋に入ると、リビングにいる誰かも気づいたようで、玄関とリビングに繋がる通路のドアが開かれる。忍を止めようと追ってきた飛田が忍の腕を取りぐっと引き戻し庇うように前に出る。「遅いぞ、忍……っと、風見?」「え!? ふ、降谷さん!?」「え、零君?」 ――え? 松田忍と降谷零、降谷零と飛田――本名は風見裕也という――が互いに知人同士であったという事実が判明し、泥棒だと思っていた相手が降谷だったという結末を迎え、忍と、風見は互いに顔を見合わせてすっかり脱力する。忍は良かったと大きく息を吐き出すと、ぐいっと引っ張られる。降谷だ。「僕が二人を勘違いさせたのはすまないが、いつまでそこに溜まっていても仕方がない。ご飯の準備ができているから少し話をしよう」「あ、はい。すみません。松田さんも大丈夫ですか?」「ええ。こちらこそお付き合いしてくださってありがとうございました」 準備するから着替えてきなさいと忍に言うと、予め作っていたらしい食事の準備を始めるので、忍と風見は廊下に置いたままの荷物を一先ず引き入れる。言われた通りに忍が身支度を済ませると、降谷と風見が何か話していたようだが、風見はすっと立ち上がって、詳しい事は降谷さんにませましたので帰りますとお辞儀してさっさと帰っていってしまった。忍が引き留める間もないぐらい颯爽と。「お、お礼したかったのに!」「俺が言っとくよ」「そういえば零君と飛……風見さんって知り合いだったのね」「それはこっちのセリフだ。まさか君たちも知り合いだったとは」「いや、それは偶然。零君がいると思わないから泥棒に入られたと思ってどうしようかと思ってたら声かけてくれた」「ふぅん?」「?」 降谷はじっと忍のことを見つめていたが、ご飯食べようとリビングテーブルに座る。ご飯と豆腐とワカメの味噌汁に、生姜焼き。生姜たれの芳ばしい匂いが食欲をそそる。以前は料理が得意ではないと言っていたけれども、意外だ。「零君って昔料理苦手って言ってなかった?」「いつの話をしているんだ。料理ぐらい出来るようになってるよ」「そっか。頑張ったんだね」「忍はもう少し自炊しような。冷蔵庫の中何もなかったぞ」「うっ……」 にやにやと不敵の笑みを浮かべる降谷に、忍は決まりが悪い。別に料理が出来ない訳では無い。少し面倒なだけだ。 こうして向かい合って食事をしてみると彼が警察学校時代に時折会い、顔を突き合わせて食事をしていたのを思い出す。あの頃は兄の友人たちに会ってみたいと言って駄々をこねて会わせてもらい、そこから時折休みの日に会いにいくようになったのだったか。懐かしいなと降谷が食べる姿を眺めていれば、彼もそう思ったらしく、懐かしいなと呟いた。今は二人。萩原は爆弾処理中に殉職、兄も殉職、伊達は交通事故、諸伏は警察官を辞すと言ってからは音信不通。恐らくは…… これ以上先を考えたくないと思考を振り払い、別の疑問を提示する。「そういえば、何で零君が私の家に? 先日会った時は家の場所教えてなかったし、鍵も渡してなかったよね?」 先日喫茶ポアロで再会した際はその二階の毛利探偵事務所に居候する江戸川コナンという少年ともう一人の喫茶ポアロの店員の榎本梓という女性と会話していたため特にそういった話をする暇もなかった。ランチが終わればおやつ時に入り、ランチが終了して引いていた波が少しずつ寄せ返してきて店員二人が忙しくなってきたからだ。江戸川と忍は店の混雑状況を見て、解散し、そのまま互いに帰路に就いたのである。 思わぬ再会を経た降谷と忍ではあったが、降谷は本名の降谷零ではなく安室透という人格としてポアロに勤務していた。経緯は聞いてないが、以前警察官を辞したという噂はデマであり、潜入捜査官として身内や知人に被害が及ばぬように自分の素性を偽っていたのであろう。おそらく、彼は公安警察の一人。喫茶ポアロに潜入捜査の一環で勤務しているとなれば、顔馴染みである忍がその周りをうろつくわけにはいかない。極力彼の邪魔にならぬように接触は控えるべきであると結論に至り、あれ以来ポアロを訪問することもなく、普段通りの日常生活を送っていたのだが、本日、唐突に降谷が来訪した。あの泥棒騒ぎになってしまった。「僕に掛かれば忍の住んでいるところなんてすぐわかるよ」 職業上調べ上げることは造作もないということなのだろうが、それは職権乱用ではないか。忍がじとりと視線を送るが、彼はそれを黙殺する。これは常習犯だ。無駄骨を折るだけだろうが、諌めるだけは諌めるべきか。 降谷はごちそうさまと手を合わせて、テーブルの上の食器を片付け始める。台所のシンクに使ったお皿を漬け込んで再びテーブルに戻ってきたころで忍が完食すると、そのまますぐに食器も回収し、それもシンクに漬け込まれていく。忍がご馳走様と述べれば、降谷はお粗末様と笑う。台拭きでテーブルの上を拭いてから、急須で二人分のお茶を淹れる。「零君……兄さんの友人だから訴えはしないけど、他の人にやったら訴えられる可能性あるから気を付けないとダメだよ?」 降谷は瞬きをして、忍の目を覗き込む。その表情はあくまでも微笑みを讃えている。「そんなことはしないよ。折角再会したのだから忍と二人きりで少し話をしたかったんだけど、忍はもうポアロに来ないつもりみたいだったからね」 じろりと逆に問い詰めるような降谷の瞳を受け、今度は忍が肩を竦める番だ。「……私がポアロの常連さんになったら零君のお仕事の邪魔になるでしょう」「今更忍一人が常連になったところで支障はない」 それよりも聞きたいことがある、と身を乗り出してきた降谷の顔を咄嗟に顔を両手で受け止める。忍とて聞きたいことがあった。「……零君はさ警察官になったことあんまりよく思っていないでしょう」「どうして?」「兄さんの二の舞になると思った?」 一瞬、その瞳が暗く揺らめいた気がした。「そんなことはないよ」「私はこれ以上自分と同じような被害者を出したくないと思ったからこそ、なりたいと思ったよ」「……そうか」 何も答えてはくれないが、これ以上の言葉は要らないだろう。困ったような表情を浮かべながら、忍の髪をくしゃくしゃと撫でる。「――お勤め、ご苦労さま」「私だって役に立てることあるよ、もう守られてばかりは嫌だからね」 忍はパッと髪を撫でる手をはねのけて、降谷に手首を掴む。もう片方の手で降谷の目の下をなぞる。「酷いクマ」と呟けば、彼は驚いた表情を浮かべた。ぐっと腕を引っ張って、寝室へと引っ張っていくと降谷をベッド上に放り投げ、素早く掛け布団をかけた。「え? 忍……?」「寝不足なんでしょ。今日はもう寝なさい」「いや、さすがに、ここで寝るのは」 有無を言わさぬ忍の言葉に珍しく降谷もたじたじだ。「いいから寝ろ」 起き上がろうとする降谷に、忍は唸りながら近くにあったクッションを顔面に投げつけて再び布団の上に沈める。「……忍、ごめん。それじゃあ少しだけ仮眠を」「いいよ明日休みだから気にしないで。零君の仕事はただでさえ忙しいんだから。身体が資本でしょ」 おやすみ、いい夢を。 自室のドアを閉めると、洗い物を始める。シンクの洗い物を手早く済ませると、戸棚の中に隠していたバーボンをそっと取り出せば、飲み過ぎないように、と誰かさんが貼ったらしい付箋を見て思わず笑う。その割には、隣に高級チョコレート菓子店のチョコレートが置いてあるものだから、ドアの向こうで今日は少しだけ夜更かしをして晩酌を楽しんでしまおう。再開を祝いながら。25.05.20 『朋あり遠方より来る』 初出 その他 2025/05/20(Tue) 17:33:09
DC夢 / 松田妹主と降谷がポアロで再会する(*以前書いてた夢主設定を見直して書いてるため、以前の夢主設定と異なります)========================================= 手を浸したくなるような涼やかな青空。快晴。休日をより楽しむにはやはり天気の一つや二つ良くなければと上機嫌で街並みを歩いていく。陽だまりの心地よい季節になった。日用品買い出しをして昼下がり。昼食時を迎えた街中は飲食店からの食欲をそそる匂いで満たされている。買い物を終えた忍も正午を過ぎて空腹を刺激され始めていた。今日は何を食べようかと周囲を見回しては目移りする。陽気な外国人オーナーが作るインドカレー屋、ラーメン店の熱々のラーメン、ベーカリーから漂う焼きたてのパンの匂い。どれも彼もが心地よく、空腹を更に刺激する。昼時の混雑からは落ち着いているものの、まだまだ混雑している店舗も多い。どうしたものだろうかとなと歩いていると、一件の喫茶店が目に入り、歩みを止める。「最近入ったあの喫茶店の店員さんイケメンなのよ。それだけじゃなくて食事も美味しいからぜひ行ってみて。ハムサンドがすごく美味しいの」 ふと職場の先輩が話していたことを思い出した。その話を聞き、近くに用がある時にでも寄ってみようと思っていた店だ。確かこの喫茶店だったか。看板を見つけ、近づいてみると”喫茶 ポアロ”の文字。外観は表参道やらのお洒落なカフェというよりは、純喫茶寄りのレトロな部類に入るだろう。お洒落なカフェも魅力的ではあるが、気後れしてしまい逆に落ち着かない。忍個人としてはこのポアロのような親しみやすい憩いの場としての喫茶店の方が好みである。このポアロは小規模な雑居ビルの一階に入っており、その一階がこの喫茶ポアロになっており、二階は探偵事務所――よくよく見れば、眠りの小五郎で一躍有名となった毛利小五郎の名前が大体的に窓ガラスに貼られている――という構成になっている。 毛利小五郎と言えば、難事件を解決し、その事件解決の姿があたかも眠っているような姿なので、付いたあだ名が眠りの小五郎。最近よく耳にするようになった名前であるから忍も聞いたことはあったが、こんな所に毛利小五郎の事務所があるとは思っていなかった。事務所の方を見上げて、へぇと感心していると、丁度二階事務所に通じる階段から眼鏡をかけた子どもが降りてきて、鉢合わせる。青いジャケットに白いシャツ、赤い蝶ネクタイ。ぱちくりとした目が可愛らしい。毛利探偵のご子息だろうか。視線が合い少年は小首を傾げる。兄の幼少期の写真もこのくらいの頃があってかわいかったなと自然と心が和む。「? お姉さん、小五郎のおじさんに何か御用ですか?」「ううん。私はこちらの喫茶店の方に。毛利探偵の名前は聞いたことあるけど、事務所ってこんなところにあるんだ、って少し感心してただけなの」「なーんだ。そーだったの。僕も今からポアロでご飯食べようと思ってたんだ。ポアロのごはん美味しいからおすすめだよ」「そうなんだね。私の職場の先輩もポアロのごはん美味しいって言ってたから、ずっと気になっていたの。近くに来たから今日は来れて良かったよ」 にこりと笑うと忍につられて少年も笑って、ハムサンドとか美味しいんだよと教えてくれる。 江戸川コナンというらしいその少年は毛利小五郎とその娘・毛利蘭の父子家族――正確には奥さんは別居中だそうだ――の下に居候しているらしい。家庭事情はそれぞれではあるが、まだ幼い子が人様のお家に預けられるとはのっぴきならない事情があるのだろう。江戸川は小学一年生だという。まだ入学して一年目で両親がおらず心細いだろうに。小学生の身で人様の家に預けられるなんて大変な人生だと呟くと彼は苦笑いしていた。心なしか哀愁が漂っている。小学生にしては達観し過ぎではないか……?「いらっしゃいませ、コナン君。おや……はじめまして」「こんにちは安室の兄ちゃん。丁度お店の前で鉢合わせした……えっと?」「――……あ。ごめんね、コナン君。そういえば名前名乗っていなかったね。私は松田。松田忍です。安室? さんも初めまして」 目の前に現れた金糸の髪の男に目が釘付けになっていると、江戸川はおよそ普通の小学生が向けないであろう胡乱な目を忍に向けた。忍が突如として目の前に現れた眉目秀麗な男に目を奪われていたとでも思ったのだろう。傍から見ればそう見えたやもしれぬ。「ダイジョウブ? 忍さん?」「ええ。噂で聞いてたけど、本当にイケメンさんなんだなって驚いてしまって」 しどろもどろに答える忍に、最早一目惚れしたなと呆れ顔の江戸川の顔。だが、忍の心中は別の意味で穏やかではなかった。脳裏を埋め尽くす疑問。何故、Why? で埋め尽くされている。 ――夢でも見ているのだろうか? ぱちぱちと瞬きをする。まさか音信不通となっていた兄の友人が喫茶店で働いているなんて夢にも思わない。 「どういう事だってばよ……?」と脳内で昔読んだ漫画のキャラクターが首を傾げている。「安室さん。忍さん、職場の先輩からポアロのこと聞いて来てみたんだって」「あ、はい。ハムサンド美味しいと聞いたので食べたいのですが……」「そうでしたか。準備しますのでぜひ食べて行ってくださいね」 安室はにっこりと笑みを浮かべて、忍と江戸川を案内する。あまりにも惚けているように見えたのか、忍の姿を見かねた江戸川が心配して相席するかと尋ねられて、そこで気を遣わせてしまったと忍は我に返る。大丈夫だと凪いだ声で告げれば、意外そうな顔をした江戸川は後ろ髪引かれるように忍の方を見ていたが、カウンター席に座って女性の店員に注文を始めていた。 忍は案内された店内奥のテーブル席に座ると、おしぼりとお冷やを渡される。ありがとうございますと視線を向ければ、安室はにこりと笑みを浮かべて、メニュー表を開いて手渡して、お決まりの頃にお伺いしますと去って行った。その後ろ姿を暫くじっと見つめていたが、渡されたメニュー表に視線を落とす。 江戸川に”安室”と呼ばれていた男はかつて忍の兄・陣平とその幼馴染の萩原研二が紹介してくれた警察学校の同期の男である。その時紹介された名は降谷零と名乗っていた。陣平と萩原が休日になると忍と会い、同期を紹介していたため、降谷と忍は互いに顔見知りだ。当時学生だった忍は降谷に勉強を教えてもらったりしたし、陣平達と共に食事に行ったり、遊びに行ったりと交流をしていた。彼らが警察学校を卒業後警察官となり、暫くすると降谷と諸伏景光という男とは音信不通となる。警察を辞めたと聞いたりもしたが、志の高い彼らが警察官を辞することがあるのだろうかと腑に落ちず、釈然としない思いを抱えて過ごしてきた。その間に幼馴染の萩原研二、兄・松田陣平、その同期で面倒見の良いもう一人の兄貴分的存在の伊達航、一人ずつ目の前から居なくなっていった時には、考えたくもなかったが、音信不通となった降谷と諸伏の生存を不安視し、流石に堪えた。 ――けれども、こうして零くんは生きていた。 純粋に嬉しかった。何故安室と名乗っている理由がわからないが、ただ生きていると知っただけで少し声が震えて涙が出そうだった。「忍、さん」「あ、むろ、サン」 いつの間にか目の前に立っていた彼に、ハッとする。決まりましたかと凪いだ青い瞳を見て、鼻の奥がツンとしたが、努めて笑みを浮かべる。あまり考えたくはないが、きっと、警察を辞したと噂を聞いたことがあったが、彼は今でも警察の仕事をしていて、その仕事は公安警察なのだろう。潜入捜査官。この喫茶店がコンセプトカフェ的な要素があり、店内限定のあだ名が”安室”であるといった気の抜けるような理由だったならばどんなに良かっただろう。「――えっと、ハムサンドとケーキセット。ケーキはショートケーキ、飲み物はカフェオレでお願いします」「お飲み物は何時お持ちしますか?」「ハムサンドと一緒にください」「畏まりました」 テキパキと注文を取るその横顔を眺め、メニュー表を返す。久しぶりの再会が名残惜しいが、忍と再会した瞬間、彼は初対面を装った。咄嗟に話を合わせたのだが、彼にとっては忍が知人ではないほうが好都合なのだろう。混乱していて気が回らなかったが、これ以上は踏み入れるべきではないだろう。「……忍。元気そうでよかった」 メニュー表を渡した瞬間、忍だけに聞こえる声で彼は呟いた。そして降谷は何事もなかったように、歩を進め、カウンターへと戻っていく。震える心を落ち着けるために、おしぼりを広げ、ぽふっと顔に当てる。冷めてしまったおしぼりで顔を軽く拭うように。そうでなければきっと泣いてしまいそうだった。「忍さん?」 気づかわし気に近づいて来た江戸川に、おしぼりを退けて微笑む。何でもないよと言えば、目を見開いたが、それ以上は何も言わなかった。「ねえ、コナン君。やっぱり一人だと寂しいから相席してくれない?」「えー?」「コナン君が今食べてる代金は私が払うから」 そうのんびりとした口調で提案すれば、仕方ないなあといった風に自分の席へと戻っていって、カウンターで作業をしている降谷と女性の店員に何やら声をかけて始めた。彼らがちらりと忍の方をを見た時に、忍はドキリとしたが「忍さんこっち」と江戸川が手招きをしてから彼の隣のイスを引いてくれた。何だか彼らの仲間に入れてもらえたように特別嬉しくなって心の底からふにゃりと笑えば、彼らは目を丸くつつも、同じように笑みを浮かべてくれた。 荷物を持って江戸川の隣に座り、注文したハムサンドとケーキセットが来るまでの間、アイスコーヒーを飲みながら学校の宿題を解くコナン君を横目に、店内を眺める。店内はカウンター席とテーブル席があり、道路側の大窓から外光が入るため、一定の明るさがある。田舎とまでは行かないがのんびりとした雰囲気が漂い、皆が思い思いの時間を過ごしている。常連らしき高齢の女性はうとうとと微睡んでいる。少し離れたテーブルには女子高校生だろうか。女学生達はお喋りに夢中になっており、ちらちらとカウンターで作業する安室を見てはかっこいいと盛り上がっている。常連らしき中年の男性はちらりと一瞥したが、いつものことかと言わんばかりにコーヒーを啜り、経済新聞を眺めている。まるで木漏れ日のような場所。「よい喫茶店ですね」 この空間は降谷にとって仮初の居場所かもしれないが、危険な仕事に身を投じているであろう彼が束の間の安寧に触れる場所として、傷ついた身体を休める居場所として、この喫茶店が拠り所のなってくれているといいなと祈らずには居られない。「ええ。僕もお気に入りの場所なんです」 穏やかな三日月型の瞳が、お待たせしましたとハムサンドとカフェオレを持ってくる。これが噂のハムサンドかと感心していると、ぐうと腹の虫が主張し始めて、パッと腹部を押さえる。ニヤリと隣で笑う気配がしたが黙殺する。近くにいた降谷と女性の店員の耳にも届いたようで彼らも笑っている。きまりが悪く恥ずかしくなって、いただきますと少し大きな声で魔法を唱えれば、召し上がれと楽しそうな声が響いた。25.05.17 『スズランを、あなたに』 初出 その他 2025/05/20(Tue) 17:31:05
dc夢 / fry / 学パロ / ネタ供養 今年も憂鬱な時期がやってきた。体育祭。日本では明治時代末期に「富国強兵」「健康増進」と言った意味で普及され、現在では健康や仲間たちとの協調性や連帯感を養うための行事とされていることが多い。地域差や学校の方針にもよるが、年に1度の大きな行事の内の一つである。その日は皆が一致団結し、打倒他クラスを合言葉に大いに盛り上がる。イベント特有の非日常感に大半の生徒たちは弄ばれて浮かれるのである。但し、運動嫌いの一部の生徒はどう足掻いたとて浮足立つことはなく憂鬱には変わりないのだが。「憂鬱……」 差し込む陽射しを遮るように腕を額の前に掲げて、 昨今の地球温暖化問題において酷暑及び残暑は深刻なものであり、暑さ寒さも彼岸までといった言葉も次第に陰りが見え始めている。漸く残暑の空気が立ち去ったこの頃。校庭のトラックを囲うように並べられた椅子と不思議な腰掛けてぼんやりと競技が開催されるのを眺めている。街角で配布されていた不動産広告が書かれた団扇の生温い風に辟易しながら、事務的な声援を送る。隣に座る後輩も目の前を横切ったランナーに声援を送っている。本来ならば学年、クラス別に別れて待機しているのだが、吹奏楽部員は体育祭を盛り上げる一役として演奏を担当している。運営本部、救護テントと並んだその隣に陣取り、入退場や応援歌の演奏を担当する。基本的には自分の番が来るまではこのテント下で待機しているため、学年が違えどこうして隣同士で待機しているのである。「先輩、朝練の走り込みいつも周回遅れですものね」「運動苦手だからね」「まあ吹奏楽部は文化部ですから大丈夫ですよ」「別名、走る文化部だけど」「腹筋もしますね」「運動、嫌い……」「演奏は?」「大好きー!」「じゃあ、そのためにも運動もがんばりましょう! 演奏のためには筋トレ大事です!」「よくできた子だね……」「先輩もっと褒めて!」 体育祭という行事は確かに非日常感があり、盛り上がるが、やはり私のような運動を苦手とするタイプの生徒達は総じてうかないかおおをしている。運動を得意とする運動部に所属するような生徒たちとは違い、やる気は雲泥の差。やる気など家を出るときには置いてきたという生徒は多いはずだ。何が悲しくてこの残暑の空気が漂う中の炎天の校庭に教室から持ち出した椅子に座って他人が走るのを眺めていなければならないのか。いや、楽しいわけがない。 はあっと深い嘆息を漏らせば、後輩ちゃんは苦笑しつつも、私を元気づけようと健気である。こういったところは彼女の好ましいところであり、自分が男子であったら好意をもって交際を申し込んでいたかもしれれない。「まあまあ。降谷先輩と諸伏先輩の活躍でも観て目の保養にしましょうよ、先輩」「降谷くんと諸伏くん?」 ぱちくりと、瞬きをすれば、後輩の指さす方向を向く。その指先には、クラスメイトの降谷零くんと諸伏景光くんの姿がある。二人とも学校中のアイドルかというくらいの人気者であり、特に降谷くんはその浮世離れしたルックスは圧倒的に女子に大人気である。諸伏君も人気であるが、彼はどちらかというと女子よりは男子の支持率が多い気がする。いずれにせよ、その二人は女子男子共に一目を置かれる生徒である。「先輩同じクラスとか羨ましいすぎですよ」「そういわれても……二人とは事務的な接点ぐらいしかないしなあ」「あ! 降谷先輩借り物競争でるみたいですよ」「え? そうしたら、もうすぐ、私の大縄跳びのターン近いじゃん。ちょっとトイレ行ってくんね!」「えー! 先輩ここで!?」「後輩ちゃんが応援してくれるなら、私の応援がないぐらい降谷君も諸伏君も見逃してくれるさ」「ちょっと、先輩!?」 トイレへ行くついでに気分転換して少しサボってこようと、引き留める後輩ちゃんをするりとかわし、席を立つ。 トイレに向かう途中で校庭のトラックの中で待機している降谷くんがこちらを見た気がしたが、誰かと見間違えたのだろう。特に気にすることもないと、そのままトイレに向かう。***** 用を足し、ついでに飲み物を買い、一息ついてから校庭に戻れば、少しばかり騒然としている。はて、何事だろうか。「いた! みょうじ!」「え?」 大声で呼ばれてびくりとすれば、一斉に視線が私に向けられる。なんだ、なんだ。どうしてこうなった。戦犯が私なのか。 思わず後退りすれば、焦って一気に駆け寄ってきた降谷くんが私の両手を掴んで、逃がすまいとする。「え、え? 降谷くん?」「どこに行ってたんだ?! 探したぞ!」「お、お手洗いと飲み物買いに行ってたんだけど……」「一緒に来て」「なんで?」「借り物競争してるから」「え? まだ終わってなかったの?」「君がいないと俺は終わることが出来ないんだ」「? 私がいなくたって別に」「気になる子を連れてこいって書いてあるんだから、君以外じゃゴールできない。当たり前だろ!」「え?」「!?」ばっと口を両手で押さえた降谷くん。しまったという顔をした降谷くんに、戸惑いを覚える。聞き間違え出なければ、彼は気になる子を連れてくというお題で、私じゃなければ意味がないと言ったのだろうか。それじゃあ、まるで――……。 しんと、一拍の静寂。そして、噴火するが如くの悲鳴。 顔を紅潮させた降谷くんから伝染するように私の頬も熱くなっていく。夢みたいな話だ。何も関係ないと思っていた学校の人気者から好かれていたなんて。「みょうじ……俺……」「降谷くん……」 熱っぽく呼ばれ、思わず動揺してしまう。不整脈を起こしたかのように、鼓動が足早になっていく。どうしよう、私は人から好かれる事があるのか。こんなことがあるのか。見つめられる熱量に耐えられず、忙しなく視線を泳がせてしまう。「みょうじ」 降谷くんの手が、私の手に優しく絡まっていく。 ああ、もう、どうしよう――「降谷ー、みょうじー!さっさと走ってこーい! 借り物競争終わらんぞ!」 先生は本当に空気が読めない。19.04.16 25.04.26 加筆修正 その他 2025/04/28(Mon) 20:23:28
(*以前書いてた夢主設定を見直して書いてるため、以前の夢主設定と異なります)
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一日の業務を終え、一人暮らしをする1DKの集合住宅に帰宅する。自宅のドアの前で家の鍵を開けようとすると、はたっと違和感を感じて留まる。
――誰かいる?
ぎょっとしたが、緊急事態の時も冷静であれ。大きく息を吸って、ふうぅっと長く息を吐き切ると、室内の状況を確認するために、室外のメーターボックスを静かに確認する。じっと見つめていれば、案の定、メーターが動いている。やはり誰かが室内に侵入しているようだ。身内や友人が訪ねてくるという予定もないため、考えられるのは線はやはり空き巣であろう。単独犯か、複数犯か。自衛の為にと教えてもらったボクシングの心得はあるが、制圧できるほどの腕前でもない。安全には代えられないから、敢えて呼び鈴を鳴らして出ていってもらうか。どうせ盗まれるような金目のものもない……もしも下着泥棒であったりしたら、それはそれで困る。ここは管理会社に連絡して一緒に立ち会ってもらうか。警察は、なぁ……。
スマートフォンを取り出し、アドレス帳に登録してある管理会社の連絡先ページを探す。
「どうか、されましたか?」
不意に後方から声を掛けられて、ビクリと肩を揺らす。振り返れば、丁度階段を上がってすぐの所に四角い縁の眼鏡をかけた実直そうな男が立っていた。抹茶色のスーツをピシッと着こなした男で、きっと周囲からも期待されているデキるサラリーマンといった感じなのだろうか。あ、と目を見開いた男の反応に、どこか出会っていただろうかと小首を傾げたが、すぐに真面目な顔つきになった。買い物帰りなのかコンビニの袋が手にぶら下がっている。怪訝そうな顔の男はスタスタと歩いてきて、忍の側までやってくる。おそらく初めて見る人だ。
「あ、どうも……えっと、ご近所さん、ですか?」
「ええ。同じ階の飛田と申します。丁度立ち尽くしたままのあなたの姿が見えたので」
「ええっと……」
家の中に知らない誰かがいると言ったら今まで面識も何もなかったご近所さんでも助けてくれるだろうか。忍が当惑していると、飛田は忍を落ち着かせるように柔らかく口元を結ぶ。
「何かお困りのようでしたのでお声がけさせていただきましたが、すみません、余計な御世話だったかもしれません」
「いえ、ありがとうございます。その、ですね……どうも、家の中に、知らない誰かが入り込んでいるようでして……」
「……知り合いがいらっしゃっている、とかではないんですか?」
忍が状況をしどろもどろに話し始めると、飛田が浮かべていた穏やかな表情から神妙な顔つきに変わる。深刻な表情を浮かべた飛田はちらりと忍の家のドア一瞥し、忍に持っていた荷物を預けるとそのまま彼女を一歩下がらせ、ドアの眼の前に立つ。そっとドアに耳をそばだて、ゆっくりノブを回す。音を立てずに、おそるおそるとドアノブを引き、飛田と忍は顔を見合わせる。
――開いて、る。
二人の間に緊張感が走り、忍はゴクリと息を呑む。
「(中の様子を覗いてみます。危ないのですぐに逃げられる所に避難しててください)」
「(で、でも、と、飛田さんが……)」
「(自分は大丈夫ですのであなたは自分自身の身の安全の確保をお願いします)」
互いにアイコンタクトをして、忍は言われるがままに後退り成り行きを見守ることにする。えらいことになってしまった。まさかご近所さんを巻き込むことになるとは思わなんだ。
――だか、それで良いのか?
自分の問題をたまたま居合わせた他人に任せるだけ任せたままにしていてよいのか。そもそも悪いことをしていない自分が何故泣き寝入りしなければならないのか。悪いのは人様の家に勝手に侵入している不逞の輩の方だ。そう思ってきたら腹が立ってきた。荷物を廊下の隅に置き、そっとドアを開けて隙間から中の様子を窺う飛田に近づき、ずんずんと近づいていく。近づく気配にギョッとした飛田が制止しようと手を広げたが、ええいままよ、とドアを勢いよく開ける。このまま引き下がってたまるか。
「ちょっ!? 危ないから下がって……!?」
「なんで私が大人しくしなきゃいけないの!? 許さーん!」
パンプスを脱ぎ捨ててずんずんと部屋に入ると、リビングにいる誰かも気づいたようで、玄関とリビングに繋がる通路のドアが開かれる。
忍を止めようと追ってきた飛田が忍の腕を取りぐっと引き戻し庇うように前に出る。
「遅いぞ、忍……っと、風見?」
「え!? ふ、降谷さん!?」
「え、零君?」
――え?
松田忍と降谷零、降谷零と飛田――本名は風見裕也という――が互いに知人同士であったという事実が判明し、泥棒だと思っていた相手が降谷だったという結末を迎え、忍と、風見は互いに顔を見合わせてすっかり脱力する。忍は良かったと大きく息を吐き出すと、ぐいっと引っ張られる。降谷だ。
「僕が二人を勘違いさせたのはすまないが、いつまでそこに溜まっていても仕方がない。ご飯の準備ができているから少し話をしよう」
「あ、はい。すみません。松田さんも大丈夫ですか?」
「ええ。こちらこそお付き合いしてくださってありがとうございました」
準備するから着替えてきなさいと忍に言うと、予め作っていたらしい食事の準備を始めるので、忍と風見は廊下に置いたままの荷物を一先ず引き入れる。言われた通りに忍が身支度を済ませると、降谷と風見が何か話していたようだが、風見はすっと立ち上がって、詳しい事は降谷さんにませましたので帰りますとお辞儀してさっさと帰っていってしまった。忍が引き留める間もないぐらい颯爽と。
「お、お礼したかったのに!」
「俺が言っとくよ」
「そういえば零君と飛……風見さんって知り合いだったのね」
「それはこっちのセリフだ。まさか君たちも知り合いだったとは」
「いや、それは偶然。零君がいると思わないから泥棒に入られたと思ってどうしようかと思ってたら声かけてくれた」
「ふぅん?」
「?」
降谷はじっと忍のことを見つめていたが、ご飯食べようとリビングテーブルに座る。ご飯と豆腐とワカメの味噌汁に、生姜焼き。生姜たれの芳ばしい匂いが食欲をそそる。以前は料理が得意ではないと言っていたけれども、意外だ。
「零君って昔料理苦手って言ってなかった?」
「いつの話をしているんだ。料理ぐらい出来るようになってるよ」
「そっか。頑張ったんだね」
「忍はもう少し自炊しような。冷蔵庫の中何もなかったぞ」
「うっ……」
にやにやと不敵の笑みを浮かべる降谷に、忍は決まりが悪い。別に料理が出来ない訳では無い。少し面倒なだけだ。
こうして向かい合って食事をしてみると彼が警察学校時代に時折会い、顔を突き合わせて食事をしていたのを思い出す。あの頃は兄の友人たちに会ってみたいと言って駄々をこねて会わせてもらい、そこから時折休みの日に会いにいくようになったのだったか。懐かしいなと降谷が食べる姿を眺めていれば、彼もそう思ったらしく、懐かしいなと呟いた。今は二人。萩原は爆弾処理中に殉職、兄も殉職、伊達は交通事故、諸伏は警察官を辞すと言ってからは音信不通。恐らくは……
これ以上先を考えたくないと思考を振り払い、別の疑問を提示する。
「そういえば、何で零君が私の家に? 先日会った時は家の場所教えてなかったし、鍵も渡してなかったよね?」
先日喫茶ポアロで再会した際はその二階の毛利探偵事務所に居候する江戸川コナンという少年ともう一人の喫茶ポアロの店員の榎本梓という女性と会話していたため特にそういった話をする暇もなかった。ランチが終わればおやつ時に入り、ランチが終了して引いていた波が少しずつ寄せ返してきて店員二人が忙しくなってきたからだ。江戸川と忍は店の混雑状況を見て、解散し、そのまま互いに帰路に就いたのである。
思わぬ再会を経た降谷と忍ではあったが、降谷は本名の降谷零ではなく安室透という人格としてポアロに勤務していた。経緯は聞いてないが、以前警察官を辞したという噂はデマであり、潜入捜査官として身内や知人に被害が及ばぬように自分の素性を偽っていたのであろう。おそらく、彼は公安警察の一人。喫茶ポアロに潜入捜査の一環で勤務しているとなれば、顔馴染みである忍がその周りをうろつくわけにはいかない。極力彼の邪魔にならぬように接触は控えるべきであると結論に至り、あれ以来ポアロを訪問することもなく、普段通りの日常生活を送っていたのだが、本日、唐突に降谷が来訪した。あの泥棒騒ぎになってしまった。
「僕に掛かれば忍の住んでいるところなんてすぐわかるよ」
職業上調べ上げることは造作もないということなのだろうが、それは職権乱用ではないか。忍がじとりと視線を送るが、彼はそれを黙殺する。これは常習犯だ。無駄骨を折るだけだろうが、諌めるだけは諌めるべきか。
降谷はごちそうさまと手を合わせて、テーブルの上の食器を片付け始める。台所のシンクに使ったお皿を漬け込んで再びテーブルに戻ってきたころで忍が完食すると、そのまますぐに食器も回収し、それもシンクに漬け込まれていく。忍がご馳走様と述べれば、降谷はお粗末様と笑う。台拭きでテーブルの上を拭いてから、急須で二人分のお茶を淹れる。
「零君……兄さんの友人だから訴えはしないけど、他の人にやったら訴えられる可能性あるから気を付けないとダメだよ?」
降谷は瞬きをして、忍の目を覗き込む。その表情はあくまでも微笑みを讃えている。
「そんなことはしないよ。折角再会したのだから忍と二人きりで少し話をしたかったんだけど、忍はもうポアロに来ないつもりみたいだったからね」
じろりと逆に問い詰めるような降谷の瞳を受け、今度は忍が肩を竦める番だ。
「……私がポアロの常連さんになったら零君のお仕事の邪魔になるでしょう」
「今更忍一人が常連になったところで支障はない」
それよりも聞きたいことがある、と身を乗り出してきた降谷の顔を咄嗟に顔を両手で受け止める。忍とて聞きたいことがあった。
「……零君はさ警察官になったことあんまりよく思っていないでしょう」
「どうして?」
「兄さんの二の舞になると思った?」
一瞬、その瞳が暗く揺らめいた気がした。
「そんなことはないよ」
「私はこれ以上自分と同じような被害者を出したくないと思ったからこそ、なりたいと思ったよ」
「……そうか」
何も答えてはくれないが、これ以上の言葉は要らないだろう。困ったような表情を浮かべながら、忍の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「――お勤め、ご苦労さま」
「私だって役に立てることあるよ、もう守られてばかりは嫌だからね」
忍はパッと髪を撫でる手をはねのけて、降谷に手首を掴む。もう片方の手で降谷の目の下をなぞる。「酷いクマ」と呟けば、彼は驚いた表情を浮かべた。ぐっと腕を引っ張って、寝室へと引っ張っていくと降谷をベッド上に放り投げ、素早く掛け布団をかけた。
「え? 忍……?」
「寝不足なんでしょ。今日はもう寝なさい」
「いや、さすがに、ここで寝るのは」
有無を言わさぬ忍の言葉に珍しく降谷もたじたじだ。
「いいから寝ろ」
起き上がろうとする降谷に、忍は唸りながら近くにあったクッションを顔面に投げつけて再び布団の上に沈める。
「……忍、ごめん。それじゃあ少しだけ仮眠を」
「いいよ明日休みだから気にしないで。零君の仕事はただでさえ忙しいんだから。身体が資本でしょ」
おやすみ、いい夢を。
自室のドアを閉めると、洗い物を始める。シンクの洗い物を手早く済ませると、戸棚の中に隠していたバーボンをそっと取り出せば、飲み過ぎないように、と誰かさんが貼ったらしい付箋を見て思わず笑う。その割には、隣に高級チョコレート菓子店のチョコレートが置いてあるものだから、ドアの向こうで今日は少しだけ夜更かしをして晩酌を楽しんでしまおう。再開を祝いながら。
25.05.20 『朋あり遠方より来る』 初出